旅先で出会ったCINEMAたち

北インド編 India
2002.12.29-2003.1.5

タージマハール

 年末から正月にかけて、はじめてのインド旅行に行ってきました。
 はたして、インドでBOSSAは何を考えたのだろうか…。
敬愛するガンジーが愛した人々とのふれあいもありました。
参照CINEMA:「モンスーン・ウエディング


12月29日*日本→デリー
12月30日*デリー→リシケシュ
12月31日*リシケシュ
1月1日**リシケシュ→アグラ
1月2日**アグラ→デリー
1月3日**デリー
1月4日**デリー→
1月5日→日本

12月29日

昼12時に成田空港を出発。評判が良いとは言えないエア・インディアにはじめて乗る。
座席は確かに古いが、スチュワーデスはキレイだし、感じも悪くない。時間も遅れることなく、定刻どおりに出発。
 さすがに年末だけあって、日本人客で満席である。隣に座っていた夫婦は夫が熱を出しているみたいで、苦しそう。
体調最悪でアメリカに行き、旅先でダウンした経験があるだけに、
「現地にいってもつらいだけだよー。やめときゃいーのに」と余計な心配をする。
 
途中、バンコクの空港に到着。1時間以上、飛行機の中で待たされる。この時間がかなり苦痛である。
空港の横でゴルフしているのどかな風景を見ながら「外に出たい!」と思わず叫びたくなる。

夜10時にデリーに到着。はじめてのインドに少し緊張する。空港の両替所でさっそく円をインドルピーに交換。
一目で怪しげとわかる窓口には寄り付かず、人の集まっているトマスクックの窓口で両替する。

ガイドのラジュ君が出迎えてくれた。感じのよさそうな若者で一安心。ラジュ君に連れられて、インド体験に、いざ出陣!

冬の真夜中のデリーは、人もまばらで、霧が深く、暗い雰囲気だった。道は広いがガタガタ。信号もほとんどない。
歩道には浮浪者らしき人しか見かけない。コレがインドか…。予想外に寒く、前途に不安を覚える。

夜12時近くにホームステイ先に到着。夜遅いせいか、チャイムを押してもなかなか出てこない。
ラジュ君もはじめて訪れるらしくて少し不安そうである。
 やっと、アパートの最上階から、ホームステイ先の奥さんが顔を出し「上がってこい」と合図。なんだか怖そうな奥さんだ。
 しかし、狭い階段を上がって部屋に入ると、そこは外とは別世界のメルヘンチックなかわいい部屋。
クリスマスの飾りがされていて、ソファーもカーテンも椅子もすべてが高級そう。しかも床は大理石!
そして、出迎えてくれた3人の子供たちは、みんなきれいな服を着て、かわいい笑顔。
奥さんは恰幅がよくて怖かったが、深夜だというのにおいしいチャイとケーキを出してくれた。
首をかしげてばかりいる(これは「Yes」の挨拶)メイドさんもかわいい笑顔。
 最初に抱いた暗くて寒々しいインドの印象は払拭され、ちょっとした金持ち気分になる。
案内された部屋は高校生の息子の部屋。私たちが彼の部屋をとっちゃたらしい。申し訳ない。
でも、金払ってるんだから、遠慮せずに使わせてもらいます。

金持ちの家ではあっても、インドは暑い国なので暖房設備がない。
布団は薄っぺらいし、シャワーもお湯がなかなかでない。しかたないので、シャワーも浴びず、たくさん着込んで寝ることにする。
だが、寒くて寒くてよく眠れない。ホテルだったら毛布の追加を頼めるのだが、さすがに人の家なので遠慮する。

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12月30日

今日は私とタイガー・ウッズの誕生日。(年齢は違うが)
 朝5時に起床して、デリー駅へ。すごい霧で寒い。早朝の駅は人もまばら。
さっそくはだしの物乞いの子供が手を出して近づいてくる。これがウワサのバクシーシーか。直視できずに知らぬふりをする。
自分に罪悪感を覚えたが、所詮私はツーリスト。ガイドのラジュ君は冷たく「あっちいけ」と言う。慣れたものだ。

 電車は定刻どおりに到着し、さっそく乗り込む。急行らしく、座席もそれほどひどくない。
周りの客は、スキーができるというリゾート地シムラーに行く人がほとんどで、リッチそうな装い。
後ろの席では新婚旅行に出かけるカップルがいちゃついている。
車内で、ラジュといろいろな話をする。ラジュは日本語がとても上手でおしゃべり好き。
私はさっそく「モンスーン・ウエディング」の話題をふる。
 この映画はインドでもヒットしたということだ。リッチな人々の生活をみて憧れる人も多かったらしい。
 ハリドワールに向かう途中で見た車窓の風景は、テレビでみたアフガニスタンのように、寒々しい。
草も生えないような乾燥した荒地で、人はボロをまとい、はだしで歩いている。
デリーから少し離れると、ガラっと様子が変わってしまうのが、この国特有の貧富の差を物語っているのだろうか。
 タイでも、郊外の人たちの貧しい生活に驚いたが、比ではない。
貧しいというよりは荒れている。人が住んでいること自体が信じがたい光景だった。
 とても私にはこんな生活はできないし、仮にハイソな生活ができたとしてもこの光景は見るに耐え難いものだ。
みんなそこそこ裕福で小奇麗な日本は、面倒なことも多いのだが住みやすい。
申し訳ないけど、日本人でよかった、と思ってしまった。

霧のせいか1時間ほど遅れ、ハリドワールの駅に到着。ハリドワールはそれまでの風景とは違い、人であふれている。
町はきれいとは言いがたいが、とにかく人は多い。この人たちはいったい道端で何してるのだろうか?
たぶん何もしてないのだろう。お国柄、という奴である。一昔前、上野にたむろしていたイラン人の群集を思い出した。
 インド人というのは、目鼻立ちがやたらとはっきりしている。
だから、ただ見てるだけなのだろうが、ジロジロ見られているような気になる。
彼らはただ立っているだけなのに、車が囲まれただけで、恐怖心を覚えた。
人種差別はよくないのはわかっているのだが、慣れていないために怖く感じてしまう。

ハリドワールの町を抜け、ガンジス川沿いにリシケシュへ向かう。ガンジス川(ガンガー)はまるで生きているよう。
ドクドクと音がする動脈のようなガンガーにたちまち魅せられた。
 ここのガンガーはベナレスよりも上流なので、青々としている。
ヒンズーの人々にとって神のような存在のガンガーを拝めただけでもありがたいことである。
 昼過ぎにリシケシュに到着。ここは、ハリドワールより田舎で、人も少ない。
とおされたホテルBASERAは高級ホテルではないが、部屋は広いし、清潔そう。
 朝からほとんど何も食べていなかったので、さっそくホテルのレストランへ。  しかし、客は一人もいず、開店休業状態。
どんなものが出てくるのか不安である。オーダーはラジュに任せて、食事を待つ。
 出てきたパニールのカレーは予想に反してとてもおいしい。友人と二人で感動しながらもくもくと食べる。
ここリシケシュは、ヒンズーの聖地なので、肉やアルコールは禁止されている。
肉が好きで豆が嫌いな友人は、リシケシュに行きたくなさそうだったのだが、食事のおいしさに満足している。よかった!
 食事のメニュー:
 パニールとほうれん草のカレー(モッツアレラーチーズみたいなパニール。食感がgood!)
 アチャール(マンゴーの漬物。すっぱ辛くて美味!)
 あったかいカフェオーレ


 朝が早かったので、少し部屋で休む。シャワーは水しか出ないようなので、温かい昼のうちにシャワーを浴びる。
移動しただけなのに、疲れた…。

雑感:旅から帰ったあともここのレストランの料理が忘れられない。
見かけは悪いが味は最高!そして、ウエイター&たぶん調理人のおじさんが超キュート。
ほとんど笑わないんだけど、「どうだ、おいしいか」と、いつも聞いてきて、オーダーのときには無表情に首をかしげる。一緒に写真とればよかった、と今でも後悔している。
 



ガンジス川夕刻。毎日、お祈り&沐浴が行われるガート(祈りの場。ガンガーにはあちこちにガートがある)へ向かう。ホテルからは歩いて5分ほど。
たゆたうガンガーと、川に向かって祈る人々。
そして、ゆっくりと日が暮れていく。  
こんな光景はこの場所に立たないと見られない。
観光客のためにやっている祈りではなく、ここに住む人々が毎日行っている祈りだけに、神妙な気分になった。
 神聖なるガンガーに手をつけてみる。想像以上に冷たい。
遠いヒマラヤ山脈から長い時間をかけて流れてきているガンガーは
本当に偉大なる川だ。 
その後、ヒンズーの寺を回りいろいろな神様の像を見て回る。
ラジュもヒンズー教徒でお父さんは毎朝、家で沐浴をしているらしく、ヒンズーの神様の話をいろいろ聞かせてくれる。だが、何分、基礎知識がないので、まったく頭に入らず。もうちょっとヒンズーの勉強をしてから行くべきだった。

神社、仏像めぐりの後、ヨガのサットソングをききに行く。ここでは怪しげな教祖が祭られていてヨガ修行にきている白人の姿もある。教祖さまの写真は「地獄の黙示録」に出てくるカーツ大佐(マーロン・ブランド)にそっくりで驚いた。
実在の人物だったりして!?
かなり疲れた身体に、眠気をさそうサットソングはツライ。早々に切り上げてホテルへ。
 夜のメニュー:
 パラータのカレー(ポテトのカレー。ホクホクしててgood!)
 チーズのカレー
 焼きそば、焼き飯(中華風、と書いてあったのだが、家庭の味でこれも最高!)


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12月31日

朝早く、暗いうちから、なにやら鐘の音と祈りの音が聞こえる。 ゆっくり寝ていたのにー。
だが、ここはヒンズー教の聖地である。インドの朝は早いのである。  
ということで、身体に鞭打ち、朝7時に沐浴の見学へ。
リシケシュでは、朝4時から8時が沐浴タイムらしく、すでに沐浴を終えて帰る人とすれ違う。  朝もやの中、静かに流れるガンガーは母のようにやさしい。
カラスも牛もガンガーの近くで生きられることを喜んでいるように見える。
 しかし、寒いなあ。インドは暑い国のはずなのに。こんな寒い中よく裸で水に浸かれるなあ。風邪ひかないのかしら。などと、現実的な心配までしてしまう。  
8時に朝食。
朝のメニュー:  チャパティ(厚めのナンを油であげたようなパン。おいしい!)  
アチャール(おなじみ、マンゴーのつけもの。癖になる)  
ダヒィ(ヨーグルト。さすが、本場なだけに濃くてうまい。塩をかけて食べるとカッテージチーズの味がした)

食後、ヨガの体験へ。外はかなりのどしゃぶりで冷える。
広間での体験は時間が合わず、やむを得ず狭い部屋で体験。
どうやらヨガの先生の部屋らしい。天井の低い掘っ立て小屋だ。
ちょっと緊張したが、体を伸ばして旅の疲れをとることができた。
(ここで教わったポーズ、今でもジムでやってます)
雨の中、ブランコ橋へ。リシケシュといえばブランコ橋である。
しかし、なんのことはない普通の釣り橋。ガンガーの水は濃い緑である。
まるでダム湖のように深く高く静か。(こんな表現しかできないのは日本人の悲しさか)  

リシケシュの「チョウテイワラ・ハルワィ」というレストランで南インドのランチ「SAMBAR」を食する。 これがまた、美味しい!
出る料理がすべて口が合うので、タナボタの喜びである。
ランチのメニュー:
ポテトの粉のお好み焼き(Veg.Uttapam)  
ポテト入りカレードーサ(平べったいパン)  
ココナッツミルク入りカレー  
デザート(これは、ちょっと甘すぎ)

ホテルの部屋に戻って休憩。寒かったので、お湯が出るようになったシャワーを浴びる。
そこへ、ラジュ君がやってきて「アーユルベーダの予約をして今から来る」という。
「僕がお願いして安くしてもらったから、旅行会社にもホテルの人にも言わないで」としつこい。
おそらく自分のマージンを取るつもりなのだろうが、それがばれるとこまるので、しつこく言うのだろう。人のいいガイドさんである。  かなりぼったくられるかな、と予想してはいたが、一人3000ルピー(約9千円弱)と吹っかけてきた。
一瞬、言葉につまるが、親切なラジュ君には感謝してるので、渋々払う。
 本当は、明日の午前中がよかったのだが、今すぐ来るといわれて慌てて用意する。
太ったおばちゃんが登場。ラジュによると、彼女はリシケシュの近くにある超高級リゾートホテルでもアーユルベーダをやっているベテランだそうだ。
おばちゃんは英語ができないようで、身振り手振りで指示をする。
部屋が寒くて、裸になるのは寒かったが、我慢してされるがままに…。
丁寧とは言いがたいがやっぱりマッサージは気持ちがいい。
ただ、ホテルの汚い床に布一枚で寝かされたのはちょっと気分が半減。  
マッサージは、気持ちよくなりたいからするのであり、雰囲気も大切だ。
やっぱり高くてもいいから、高級ホテルのきれいなベッドに寝かされて夢心地でやってもらいたかったなあ。

祈り 気をとりなおして夜は、ハリドワールの儀式アルティへ。  
時間が遅れてしまい、泥の中、走ってガートへ向かう。
車の駐車場はまるでどぶ川のようにぬかっていて、こんなところに車とめて浸水しないの??と心配してしまった。 いたるところに牛の糞があり、しっかり踏ませていただきました。  
ここは、かなり観光地化されているようで、人がたくさん。物売りも大勢。
祈り人(?)がランタンに火をともして、ガンガーに祈りをささげる。
マリーゴールドの花をガンガーに投げ込む人々。
観光客のなかに、かわいい女の子がいたので、カメラを向けると、
即座にニコッと笑ってポーズ!残念ながら暗すぎて現像できなかったが。
ヒンズーの聖地でも12月31日日は休みなのか、みんな浮かれている。
帰りに、運転手が闇店でビールを買うというから、私たちも頼むことにした。
1本500円近くして、物価の割りに高かったが、闇のものだから仕方がない。
ホテルに帰り、二人で酒盛り。ちょっとよっぱらい、
テレビを見ながらカウントダウン!

雑感:リシケシュでの疑問アレコレ
そちこちで見かける牛はどこで生まれ、どこからやってきて、毎日どこへ帰っていくのか誰もしらない。
リシケシュの牛は町に不思議なぐらいとけこんでいて、誰も気に留めないのである。
そちこちで汚い格好をした“お坊さん”といわれる人々は、日本でいうお坊さんとはちょっと違うらしく、いわゆる物乞い(こ●き)のようである。寺の前に並んで食料を恵んでもらっているお坊さんをそちこちで見かけた。  
ラジュ君いわく、リシケシュのお坊さんは、けっこうたちが悪く、薬をやっていたり観光客のものを盗んだりするらしい。でも、私たちはラジュ君にひっついていたので、怖い目には合わなかった。
 

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1月1日

新年。昨夜は酒もはいり、ちょっとした祭り気分を味わえた。
やっぱり、正月は祝わないとね。だが、問題はビール瓶の始末である。
ここリシケシュではアルコールが禁止されているので、あまりおおっぴらに部屋において置けない。  
愛嬌がないけど親切なウェイター、カーンおじさんに頼んでビール瓶の始末をお願いする。  
今日は移動日。とくに予定もないので、部屋で昨日のヨガの復習をする。
ラジュ君は大学でクリケットの選手だったということで、クリケットのワールドカップに夢中。部屋でテレビを見ているようだ。  
インドはイギリスの植民地だったので、クリケットが盛んらしい。新聞の1面に写真入りでクリケットの試合結果が載っている。  
午後は晴れたので、リシケシュの町の散策に出かける。
田舎町なので見るものもないのだが、私はこういう当てのない町歩きが好き。  店先で売っている日用雑貨や、たむろしている人々、女の子の服装などを眺めているだけで楽しい。


リクシャーのクラクションと汚い道、牛たちの間をぬってひたすら歩く。屋台には野菜や果物が豊富に並んでいる。
みかん、りんご、いちじくなどなど。野菜も日本の野菜に近く、カリフラワーやブロッコリー、キャベツetc.…。
ダイコンらしきものまで見かけた。途中、ガンガーの川べりに貧民街があり、ボロボロの洗濯物が干してあった。
どこにいっても出くわす貧困層。悲しいかな、それがインドの素顔でもある。
カーンおじさんとスーパーマリオ(古い!)のような運転手にチップを払い(ほぼ強制的に)リシケシュの町を後にする。

リス 2時にハリドワールの駅に到着。列車を待っている間に、駅構内の様子を楽しむ。
駅にはサルや犬や牛がそちこちにいる。
犬は客の荷物におしっこをひっかけるし、サルは食べ物を虎視眈々と狙っている。
(目の前で、おじさんからピーナッツを奪い取ったサルには驚いた。)  
駅は冬休みの旅行を楽しむ家族連れでにぎわっている。
みんな巨大な荷物を持参しているが彼らはいったいどこへ行こうとしているのだろう。
アグラ方面へ向かう寝台列車はほぼ定刻どおりに出発。予想に反して順調じゃない。
と、この時点では思っていたのだが…。   
途中の風景は、リシケシュに向かうときとはうって変わって、広大な緑が続く田園風景だ。
一面、緑で山一つ見えない。あらためて、大地の広さを感じる。 深夜まで、長い旅だ。  
夜になったので、狭いベッドに寝ることに。残念ながら、私たちのベッドは通路側。
人が年中行ききするのでゆっくり眠れない。
それでなくても寝つきが悪いので、酔い止めを飲む。  
薬がきいたのか、一瞬眠りにつく。ところが、足元においていた食料が一式消えていた! やられた!
ウワサには聴いていたが、インドの盗っ人にまんまと食料を取られてしまった。まったく気付かなかった。  
それ以後、怖くなって眠れない。幸い、大事な荷物は抱えていたので、取られたのはホテルで作ってもらった弁当だけである。
不幸中の幸いだ。  友人も起きたので、さっそく報告する。 二人して、「やっぱりインドは怖い」と身を引き締める。
(後日談:寝台列車の中の盗っ人事件の犯人は誰だ?!答えはコチラ
そのうちに、ガイドのラジュ君も起きてきた。何でも霧で到着が遅れているらしい。

結局、深夜1時にやっと到着。  真夜中の駅は人も少なく、駅で寝泊りしているらしき人々にジロジロ見られる。
逃げるように駅を出て、迎えの車に乗り込む。  外はすごい霧で何も見えない。もちろん、信号などあるはずもない。
それなのに運転手は猛スピードで走る。私は、寝台列車でほとんど眠れなかったので、車の中で爆睡する。
おかげで、スリル満点の運転を体験できず。  

アグラのアマールホテルに2時過ぎに到着。ホテルの部屋は大理石できれいで安心。だが、やっぱりお湯は出ない。
仕方がないので、寝ることに。

雑感お笑い後日談:寝台列車の中の盗っ人事件の犯人は誰だ?!
実は、犯人はラジュ君。夜中、おなかがすたいので、あまっていた弁当を全部平らげてしまったそうだ。
私は、「盗まれたの!」と訴えたら、ラジュ君はきょとんとして「僕、食べちゃったよ」だって。
気が付かなかった私が不覚ではあったのだが、インドの全国民を疑ってしまってごめんなさい。
インドはそんなに危険じゃありませんよー  

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1月2日

タージマハール 久しぶりにきれいなホテルでぐっすり…、といきたいところだったが、昨夜寝付いたのは結局3時過ぎ。寝つきの悪に身にとって強硬スケジュールはきつい。
個人旅行だったら、今日は午後から観光、と変更できるのになあ。
渋々起床。朝になったらお湯が出たので、久しぶりにゆっくりとシャワー。
朝食は、久しぶりのトーストでちょっと感動。
カレーはおいしかったのだがちょうどさっぱりしたものが食べたくなっていたのだ。
そこは日本人。食生活は簡単には変わらないものである。

午前中に、アグラ城、そしてメインイベントであるタージマハールを見学。
ここは観光のメッカである。
そちこちで流暢な日本語でしゃべるインド人を見かける。
ラジュ君の友人にも何度か遭遇。ラジュ君は日本語、十分うまいと思っていたが、上には上がいることを実感する。
天気がよければアグラ城からタージマハールの全景が見えるのだが、あいにくの霧で微かにしか見えない。でも、赤い城砦はそれなりに見応えがあった。 

雑感:ここで疑問。インド人はとっても日本語が上手なのはなぜか??
知っている人いたら教えてください。発音が似ているからだろうか?

 

タージマハールは皇帝シャー・ジャハーンが亡き愛妻のためにたてた廟。とにかく大きくてきれい。古いものなのに、ピカピカしてる。昔の王様はなんて贅沢なものを作ったのだろう!
すべてが合理化され、無駄のない現代では考えられない贅沢三昧である。
それと、もう一つ驚いたのが入場料。
現地の人は50ルピーぐらいなのに、外人観光客は750ルピーもするのである。
幸いツアー料金に入っていたので、一文も払わずにすんだのだが、個人旅行客にとってはぼったくりもいいところだ。
観光してもらいたいなら、もう少し安くしてもいいんじゃないかなあ。
インドっていう国は貧富の差が激しいからか、金持ち向けのものは、日本よりも物価が高い。
アーユルベーダも高級ホテルも、ブランドものも、日本のほうがもっと、安いところあるのにー。
ほんと、不平等な国である。

ここアグラは、治安が悪いので有名だが、案の定、観光地の周りにはしつこい物売りがいっぱい。
振り払っても振り払ってもよってくるのでウンザリだった。
ただジロジロと見ているだけのリシケシュの人たちのほうが、数倍、感じがいい。

メインの観光が終わり、午後からどうしよう、ということになる。
ここで、すでに帰りの電車が2時間遅れている、という情報が入った。
なんでも、デリーを出て、どこか遠くに行って戻ってくる列車に乗る予定なので、遅れは取り戻せないというのだ。
日本では考えられないことだ。これもまたインドの醍醐味。
そこで、しばらくホテルでゆっくりしよう、と思ったら、
ホテルは午前中でチェックアウトしてくれないと困る、と言い出した。
ラジュ君は「話が違う!」とホテルとケンカ。私たちはおろおろして見守るしかない。
しかし結局、ラジュ君の要求は通らず、慌てて荷造りするはめに。
ホテルのランチを味わうまもなく、そそくさとホテルを後にする。(あんまりおいしくなかった)
部屋と設備は申し分ないのだが、観光地の大ホテルはさすがに態度が横柄でビジネスライクである。
頭の切れそうなフロントのねーちゃん、感じ悪ー。

午後からすることもないので、米ドル30$もするオプションで、ファティプール・シクリへ行くことにする。(高すぎる!)
ここは、皇帝アクバルが建立した城で、わずか数年しか使われていなかった。
アグラ城と同じく、赤いレンガで造られていて、見かけはアグラ城と区別がつかず。
イスラムとヒンズー、さらにはキリスト教を融合させた建築が多く、昔の王様が人々の宗教にいかに気を配っていたかがわかる。
それに比べて、現代はあちこちで宗教対立が起こっている。今は、すぐれた指導者が存在しない、ということだろう。
また、城を作ったと思ったら、干ばつで人が住めなくなってしまった、という歴史には興味あり。
人というのは、過酷な自然と共存できなければ滅びるしかないのかもしれない。
大陸を訪れるといつも思うのが自然の偉大さである。
日本はほぼどこにいっても人が住んでるし、自然の怖さに触れたことがほとんどないのだが、広い大陸では人なんてちっぽけで無力なものなのだ。

ひつじ渋滞城の観光は正直、飽きてしまったが、途中、高速道路で羊の渋滞に巻き込まれたり、熊の曲芸一座に遭遇したのは面白かった。インドでは、いろいろな動物が人間と共存しているんだなあ。

夜は、何時に列車に乗れるのか心配しながら、夕食へ。
はっきり言ってまずかった。(メニュー:冷たいチキンカレー)
すでに列車が遅れているのだから、店でダラダラ時間をつぶすのかと思ったのだが、ラジュ君は定刻どおりに駅へいくという。
くそ真面目というか、融通がきかない、というか。しかし、ここは日本ではなくインドだ。インド人のいうとおりに、行動しないとね。
案の定、夜8時20分出発予定がすでに10時10分発に変更になっている。
ラジュ君はかなりナーバスになっていて、「だから、ここのツアーは嫌なんだ」と愚痴る。JTBとかだと、アグラ、デリー間はバス移動らしい。
 それなら少しお金払うから、バスにしようよー、といいたかったのだが、ラジュ君が怖くて切り出せない。
 そのうちに、ホームからは人が減り、どんどん寒くなっていき、酔った物乞いが寄ってくる。
 「怖いよー!
ラジュ君もさすがに危険を感じたのか、人のいるホームに移動する。
ラジュ君はさらに「もっと遅れるかも」と脅かすので、さすがに凍りつく。泣きたい…。
あらゆる衣類をひっぱりだして、ブルブル震えながら列車を待つ。
深夜のホームはどんどん危ない雰囲気。なんだかすごいことになってきた。
女の物ごいが、目の前でサリーを腰から落として下半身丸出しになった。
でも、誰も助けてやらず、気付きもしない。そういっている私も目が慣れてしまったので驚きもせず、手助けしない。
 これって冷静に考えると悲しいこと。人が大勢困ってるのに助けないなんて。
さすがにこの駅で見た光景にはまいった。
インドの金持ちは、自分の家を大理石で飾ってばかりいないで、もっと国全体をよくすることを考えるべきじゃないか。
こんなに貧しい人がいて、列車も水も電気も整備されていないのに、自分たちだけ裕福であればそれでいいのか!
間違ってるよ!一度、中国とかロシアとかみたいに共産圏になったほうがいいんじゃないの?
とまで思ってしまった。
 
そんなこと考えてるうちに、やっと列車がきた。2時間半遅れ。
さすがに乗客はみんなヘトヘトで列車のなかで爆睡していた。
深夜1時過ぎ、やっとデリーに到着。
しかーし!
デリー駅に迎えの車が来ていない。こんな真夜中にどーするんだ!!
ラジュ君も焦って、私たちを変な場所に待たせて、探しに行ってしまった。
次々に寄ってくる怪しげなリキシャの客引き。
さらには、調子にのった若造が、私たちにちょっかいを出してきて、生きた心地がしない。
おびえる私たちを見て、怪しげな客引きは笑っている…。
「もう嫌ー!はやく帰りたい!!」
思わず叫びだしたくなる。

そこへ救世主、ラジュ君、登場。助かった。

深夜2時にホームステイ先に到着。
ツアー会社の社長宅とはいえ、毎度毎度、夜中にたたき起こされて、ホームステイ先も迷惑だったろう。
こういうとき、ホテルだと気兼ねしないんだけどねえ。
それでも私は、頑張って「もっと毛布が欲しい」と要求。さんざん駅で寒い思いしたのだから、暖まって寝たいもんねー。
奥さん、変な顔したけど気にせず。「こちトラお客じゃ!」

雑感
 もし個人旅行なら、アグラへは1泊しないでバスで日帰りがいいかも。
朝早く出れば、午前中にタージマハールは見れるし、ファティプール・シクリはちょうどデリーとアグラの中間にあるので、寄り道しながら帰れる。私たちは午後、デリー方面へ車で行きながら、わざわざ戻って、2時間半も遅れた列車を待つはめになったのである。


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1月3日

タワー 遺跡 8時半起床。
もっと寝ていたーい。本日も曇天で寒い。シャワーも相変わらず寒い。仕方ないので、わずかに出るお湯をタオルに浸して体を拭く。私たち、かなり汚い旅してます。
9時半にラジュ君登場。ラジュ君、ほとんど寝てないらしくちょっと不機嫌。まずクトゥブ・ミナールという遺跡を見る。ここも赤い土で作った遺跡。倒れそうな塔。最初の3階は赤砂岩、その上は大理石と砂で作られているそうだ。

続いて、官庁街へ。
それまでのインドの風景とは一転して、チリ一つ落ちていないキレイさ。
もちろん、牛も物乞いもいない。旧イギリス人の豪邸と広い公園が延々続く。
まったくイギリス人ってやつは!と、むかついた。 こんな建物作るぐらいなら、もっとインフラの整備して、国民の飢えを減らし、生活しやすい国にしろ! と思うのだが、ここはインド。歴史も価値観もまったく違う国に、日本人の考えを押し付けるのは余計なお世話だろう。 不合理なこともたくさんがあるが、 それもまた“不思議の国インド”らしさということだ。

インド門 インド門は第1次大戦で亡くなったインド兵士を記念して建てられた凱旋門。
戦没者の名前が門に刻まれていた。大統領邸は、だだっ広くて、こんなとこ住むの不自由じゃないのかなあ。

大統領の邸宅 はじめて知ったことなのだが、インドは首相と大統領がいて、大統領のほうが格が上らしい。
大統領は、日本でいえば、世襲ではない天皇みたいなものらしい。

キレイな街並みから一転して、今度は下町(オールド・デリー)のチャンドニー・チョークへ。
ラール・キラー(レッド・フォート)の前の道は、すごい人人人人…。
自転車ときたない車とリキシャーがところ狭しと走っている。
一瞬、車から降りてみたが、人の多さに圧倒される。
少し、歩いてみたかったのだが、この混雑では、すぐにスリにでもあいそうだ。
ラジュ君もトラブルは避けたいらしく車にすぐ乗れというので、渋々下町をあとにする。


ラージガート 続いて、尊敬するマハトマ・ガンジーが眠るラージ・ガートへ。
広くて静かな公園で、ちいさな石碑の上にはロウソクがともっている。
人々もここでは、ゆっくりと散歩していて、庶民的な公園である。
派手さはないが、落ち着ける。ガンジーが眠るにふさわしい場所だ、と感じた。

公園で、かわいい女の子が笑いかけてきたので、こちらも笑ってかえすと、写真を撮って欲しい、と言ってきた。
庶民的な人たちと写真を取る。送ってほしい、というから住所を聞き、後で送ってあげた。(届いたかどうかは定かではないが)
こういうとき、マンツーマンでついてくれるガイドがいるととっても助かる。
インドは英語が通じるとは聞いていたのだが、ある程度のクラスの人でないとさっぱりである。普通の庶民にとって、共通語はやはりヒンズー語なのだ。

その後、タンドリーチキンで有名なレストランへ。ツアーの予算内に収まるのかしら?と、ちょっと心配しながら、本場のタンドリーチキンを食する。ここでも、アチャール(マンゴーの漬物)登場。ビールが堂々と飲めるのもうれしい。

そうそう、忘れてはならないのが、買い物。連れて行かれた政府の店で、しっかり高い買い物をしてしまったのです。(絹の玄関マットとマフラー。けっこう高かった)やっぱり、目の前に出されると、ついつい買ってしまうのよねえ。
まあ、この無駄な出費もまた楽しいのであるが。

午後は、いよいよコンノート・プレイスにある本場の映画館でインド映画を見る。ラジュ君に「歌と踊りのある映画がいい」と頼んだら「インドの映画はみんな歌と踊りがあるよ」と言われた。
若者に人気のある俳優&女優がでるコテコテのラブストーリー映画をみる。
 主演は超リッチな男性と庶民の女の子。結婚に階級差別がつきまとうインドならではのコテコテの波瀾万丈ラブ・ストーリーである。(日本でいえば、フジテレビの昼ドラみたいなもの)
 真剣な演技の最中に、ところどころミュージカルのような歌と踊りが入るのが奇妙だが楽しい。地元のポップスという感じの曲で観客は楽しんでいた。
 ストーリーで違和感があったのが、女性の職業である。言葉がわからなかったので生まれ育ちの詳細は不明なのだが、医者をやっているのに、なぜ結婚反対されるのだろう?
日本では医者といえば特権階級のイメージが強いので、金持ちの男性との結婚を反対されるのが不思議だった。
たぶんこの国では、職業よりも、生まれ育ちが重視されるのだろう。
つまり、どんなに勉強していい仕事についても、お金を稼いでも、上流階級を手に入れることができない、ということだろう。
 インドの女性は、本当に綺麗な人が多いので、女優はとうぜん美しかったのだが、俳優はインド人じゃないのでは?
と思うぐらい、色が白く西洋系の顔をしていた。
たしかに、インドの男性は、日本人の目からみるとあまりにも顔が濃すぎて、格好いいとはいえないのだが、インドの女性の美的感覚もやはり日本と同じく西洋人志向なのかもしれない。
 
 映画の後は、ホームステイ先に帰って夕食。留学先のオーストラリアから帰国中のかわいい娘が、メイドと一緒に家庭料理を作ってくれた。

メニュー:ジャガイモのカレー煮(good!どうやって作るのか聞けばよかった)
 豆の煮物。カレー、ピラフ
*全体的にあまり辛くなく、食べやすかった。


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1月4日

レッドフォートいよいよ最終日。最後ぐらいは、自分たちで気ままに町を歩くことにする。
 まず、宿から近いというサウス・エクステンションへ歩いて行ってみる。
街並はかなり違うが、日本でいえば青山あたりに近いかも。デパートらしきものはほとんどなくて、小さな店がポツポツあり、客も多くない。
 洋服はみんなけっこうな値段で、日本のほうが安いぐらい。
このあたりは高級住宅が多いので、客層に合わせて値段も高いのだろう。
 すでに、インドの物価については、予想がついていたので、さほど驚かず、手が届きそうなアクセサリーや、絹製品のインテリアなどを買う。
 それと、アーユルベーダの石鹸と、オイルトリートメントをドラッグストアで購入。
これは、空港で見たらずいぶん高かったので、得した気分。オイル・トリートメントはとても気に入っていて、通販で購入したいぐらいである。
 あっという間に時間が過ぎる。やっぱりブラブラと街歩きは楽しい。最後の食事ぐらいは豪勢に、と思い、ラジュ君おすすめのハイアットリージェンシーに行く事にする。
しかし、リキシャーに乗るのはなんとなく怖い。分けわからずにボラれるのもいやだしなあ。幸い大通りで、バスが頻繁に走っていたので、道行く人に行き方を訪ねてバスで行くことにする。
 庶民風のサリーを着た人には、英語で話しかけても「ハイアット」と聞いても、通じなかったが、洋服を着た若い女性は、さすがに英語が通じて親切に教えてくれた。
 混んだバスに乗り込み、車掌さんに「ハイアット」とだけ告げる。不安だったが「次、降りろ」と合図してくれて、案外すんなりたどり着けた。
 町行く人たちにちょっとでも親切にされると、旅に来てよかった、とつくづく思う。どうってことない触れ合いなのだが、日本では味わえないドキドキ感が私は好き。

 豪華ホテル、ハイアットリージェンシーは素晴らしかった。庭のプールをうろついたりしたあと、ビュッフェでランチ。インド料理はもちろん、タイ料理、イタリアンなど、お腹いっぱいになるまで食べ尽くした。

 帰る時間も迫ってきたので、またバスでサウスエクステンションへ戻り、最後の買い物をして、慌てて宿へ帰る。
 約束の時間が過ぎてしまい、焦ってしまうがなんとか無事、空港へ。
 あっという間のインド旅行。北インドの限られた地域しかまわれなかったが、時間はもっと時間をとって、ムンバイや南インドにも行ってみたい。

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1月5日

朝、成田にほぼ定刻どおり到着。お腹を壊すこともなく、盗人にもあわず、無事帰還。さあ、明日から現実に戻って仕事だ!
(翌々日、突然のひどい下痢に襲われ、はじめてインドの怖さを知ることになったのでした……………)


でも、また行きたいヨ、不思議の国インディア!

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