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旅で出会ったCINEMAたち

CUBA 2008.12.6-13

第30回新ラテンアメリカ国際映画祭

(写真をクリックすると拡大サイズでご覧いただけます。)

1 2008年12月2日から11日間にわたってハバナで開催されたラテンアメリカの祭典。
行く前は、
言論&表現の制限があるハバナで国際映画祭?!、革命万歳ものや、カストロ元議長ご推薦映画ばかり集めるの?
と、不安いっぱいだったが、フタをあけてみると…、
ゲイ・ムービーあり、前衛ものあり、社会風刺コメディあり。
ラインナップはサンパウロやブエノスアイレスとほぼ同じで、ちょっと拍子抜け。
キューバ政府は黙認しているの?
本音と建前のある国の事情は解せないが、自由に外国の映画を見ることができる国際映画祭は、地元の人たちでにぎわっていた。
(ブラジルから参加した人気俳優セルトン・メロとは、毎日のように遭遇。写真・左のTシャツのお兄さん)

【チケット】
すべての映画を見ることのできるパスは映画祭事務局のあるHotel Nationalでゲット。
45ペソ(約4500円)は割高感もあったが、カタログと、毎日配られる新聞がもらえるので、まずまずの値段。
地元の人は1本2ペソで見れるようだが、観光客も同じかどうかは未確認。パスがあると長い列に並ばずに入れる利点あり。

【映画館】
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ハバナ市内には、数多くの映画館がある。
旧市街の一等地に建つ映画館パイレーツ(写真左&中央)は外観は立派だが、かなり古くてトイレ臭い。改装される前の横浜日劇を彷彿とさせる映画館だ。どしゃぶりの雨の日にはあちこちで雨もり。観客はみんな慣れたもので、騒ぎもせずに席を移動していた。
一方新市街ベダードにある映画館YARA(写真右)は、比較的新しく、シネコン風。
ほかに、社会主義国家らしい名称の「カール・マルクス」「チャールズ・チャップリン」そして、ブラジル映画界の反骨監督「グラウベル・ローシャ」の名前がついた映画館もある。

映画を見るスタイルは日本やブラジルとちょっと違う。
会場準備ができると、1時間前でも入場できるので、早く来た人は、席を確保後、近くの人とおしゃべりしながら待っている、というのが主流のようだ。
5分前でも会場はガラガラで、1分前や上映後に駆け込む、時間にルーズなブラジル人との違いに驚く。
ちなみに上映中、観客は、ブラジル人以上に黙っていられないようで、ボソボソおしゃべりが聞こえてきたり、手を叩いて笑ったり、と賑やか。ラブシーンでは、ヒューヒュー、と冷やかしの声や、拍手が起こっていた。陽気なカリビアンの反応がおもしろくて、映画そっちのけで笑ってしまう。

【イベント】
映画祭のメイン・イベントといえば、豪華スターの登場!
今年の目玉は4時間の超大作「CHE」。
アメリカ資本の作品ではあるのだが、ご当地キューバでのお披露目ということで、盛り上がらないわけがない。
記者会見には、サンパウロでもお目にかかったベニチオ・デル・トロ、ロドリゴ・サントロのほか、キューバ人俳優やチリ人俳優も参加。
会場には、プレス・パスがないと入れなかったのだが、直後、すぐに出入り自由に。
社会主義国家といえども、さすがはラテンの国!
警備はユルユルだ。
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まずは、チェが乗り移ったかのような名演技だったベニチオ・デルトロ!ホテルの入り口で談笑中。(写真左)
ブラジル人俳優の出世頭、ロドリゴ・サントロは、現キューバ議長のラウル・カストロを熱演。(写真中央)
続いて革命戦士の一人、カミ−ロを演じたサンティアゴ・カブレラ。彼はベネズエラ生まれのチリ人。(写真左)

1 キューバの人気俳優ウラジミール・クルスも出演!(「苺とチョコレート」の頃の面影も少しある?)

サンパウロ映画祭の時よりも、報道陣&ファンがはるかに多くて大興奮。
会場も歴史を感じさせるホテル・ナシオナルだったし、やっぱり映画祭の規模が違うわ〜。
キューバに来てよかった〜と、初日から大満足!!

【映画祭で見た映画】
今回は、せっかくのキューバということで、キューバ映画を中心に鑑賞。
キューバの名監督トマス・グティエレス・アレア監督とその作品を追ったドキュメンタリー「TITON」や、
キューバのスター総出演のコメディ「El Cuerno de la abundancia」、
そしてチリ発のコメディ映画「LOKAS」は見どころ満載で楽しめた。
ほかにヨーロッパからの出品も多く、サンパウロで見逃した「GOMORA」を観賞。キューバでもかなり話題になっていた。
ワンポイント・レビューはこちら
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街の様子

obe 空港
サンパウロから約7時間。サービスレスのコパ航空で、ハバナについたのは夜9時半。ほぼ予定通りでひと安心。思ったよりもりっぱな空港だ(写真)。
はじめての社会主義国の入国審査は、少々緊張したが、女性の係員から「どこに住んでるの?」「サンパウロに帰るのね」と念を押された程度ですんなり通過(何度か聞きなおしましたが)。
シンプルな板の扉を抜けると、そこはカリブの島キューバ!

まずは、荷物のピックアップ。が、ここでいきなり問題発生。
人でごった返したターンテーブルには、航空会社の表示がないので、とりあえず機内で見た顔を探し、同じ場所で待っていたのだが…。
待てど暮らせど荷物が出てこない。
誰かに尋ねたくても、ブラジルのように気軽に人に聞く雰囲気ではないし、肝心の係員らしき人の姿がない。
不安いっぱいの待ち時間はどんどん過ぎ…。

ついに、ターンテーブルが止まり、灯りも消えてしまった。
サービスレスのコパ航空のことだから、荷物の乗せ間違いも十分ありうる。
海外旅行歴は15年近いが、初めての荷物紛失がよりによって、一人で降り立った夜のハバナ空港とは…。

はげしく動揺していると、やっと空港係員らしき人が通りかかったので「コパはここ?」と尋ねると…、
「コパ?コパはあっち」との答えが!
慌ててあっちに行くと…、ありました、ありました、ターンテーブルに取り残された私の荷物!
とりあえず、よかった〜。
(出口横のバッゲージ・クレームのカウンターには、黒山の人だかり。私と同じように、勘違い組もいるのだろう。あちこちに、持ち主不明の荷物が散乱していたし、誰が間違えて持って行ってもノーチェック。バッゲージ・クレームのアバウトさはブラジル以上)

夜も遅いし、はやくホテルに行かねば!と、慌てて出口をでる。
が、あらかじめネットで旅行会社(なぜかイギリスの)に頼んでおいた送迎サービスらしき人はいない。
名前の紙を掲げた人は大勢いるのだが、私の名前はいくら探しても見当たらない。
ひょっとして、遅く出てきたから、来ないと思って帰ってしまったの?!
またまた不安でいっぱいに。
出口が2つあったので、行ったり来たりして探してみるが、やっぱりない…。
ここにもまた係員らしき人がいなーい。

なんとか係員をつかまえ、ヴァウチャーを見せると、今度はあっちのカウンターへ行け、とのこと。
もうっ、なるようになれだ!と、腹をくくったところで、旅行会社のリストに私の名前発見!
よかった×2!
ちなみに、夜のハバナ空港は、タクシーがほとんど停まっていなかったため、私のタクシーに予約なしのカップルも相乗りしてきた。
見た目は綺麗な空港だが、到着早々、他国との違いを実感する。
係員はどこ?表示はないの?タクシーは??
ナイナイづくしでスタートだ。

建物、ホテル、サービス
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かつて、カリブのモンテカルロと呼ばれていた時代もあったということで、ゴシック調の建物、巨大なホテルなど、外見は華やかで、遠目で見る限りブラジルと大差はない。
だが、近づいてよく見ると…。
長い経済封鎖の影響か、建物のメンテナンスがされていないため、朽ちている。
ところどころボロボロなのだ。
&社会主義国ということもあり、サービス面でもかなり違いがある。
初日に泊まった高級ホテル(ハバナ・リブレ)は、かつてアメリカ資本のリゾートホテルだったということもあり、巨大かつ豪華。部屋も広くて海も見えるすばらしい景色だ。
でも、バスルームの扉は、傷みがはげしく、シャワーも壊れていた。
さらに、電話のかけ方も書いていないし、テレビのリモコンもない。
今まで訪れた旅先では当たり前にあったモノがないことに少々戸惑う。

子供の頃は、リモコン・テレビもシャワーもなかったわけだし、慣れればどうってことないのだが、人間の慣れとは恐ろしいものである。
豊かな生活を一度体験してしまうと、後戻りすることには苦痛が伴うのだ。
だから、先ごろ詐欺を働いた某有名人のように、贅沢三昧から抜けきれず、資金がなくても同じ生活を続けたいがために犯罪に走る、というようなことが起こるのだろう。
など、わずか2日目のキューバ生活でいろいろ考え、少々暗い気分になる。

3日目から泊まった中級ホテルは、料金なりの広さ&暗さだったが、シャワーは壊れてないし、お湯が出るだけマシ。
と安心したらスットコドッコイ。
ここでは、ドライヤーが使えない。コンセントに差し込むだけで、バチバチ火花が散るのだ。
無理やり使って壊すより、自然乾燥でいいや。昔はドライヤーなんてなかったしね。
さらに問題はエレベーター。まともに動いたのは初日だけで、あとは動いたり動かなかったり。
動かないエレベーターに乗り合わせたキューバ人は、私が「日本から来た」というと、「日本じゃこんなことないだろー」って笑っていた。
6階までの昇降運動は、正直ちょっと疲れたが、足腰の運動と思えばなんてことはない。
不便な生活も3日で慣れ、ナイナイづくし生活を楽しめるようになるから不思議である。
ちなみに、エレベーターは最終日まで直らなかった。チェックアウト時には、重い荷物を持ちながら、転げ落ちないように狭い階段を降りたのも、今となってはいい思い出。

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1 走っている車は、予想通り、超クラシック。10代の頃のMY BEST CINEMA「アメリカン・グラフィティ」に出てきた派手なアメ車が、黒い煙をはき、ガタガタ音を立てながら往来している。
どの車もボロボロで、座ると、お尻が地面にくっつきそうなぐらい沈みこむ。
このアメ車は、おもに乗合タクシーとして使われていて、特定の区間だけ走っている。
本来は、外国人の乗車はNGのようだが、客が少ない時は手を挙げれば乗せてくれるのだ。
ホテルのあるベダード地区から旧市街までも1ペソで行けるので、便利だったが、なかなかつかまらない。とくに退勤時間は大人気だった。
parq 外国人観光客はホテルの前に停まっているタクシーを使いなさい、ということだろうが、同じ区間で4ペソ(日本円で500円弱)は割高。
もうひとつ、ピザの配達人が乗るようなバイク・タクシー(COCO TAXI・写真)も頻繁に走っていた。天気のいい日に乗ると気持ちがいいが、タクシーよりも若干高め。交渉しても、ベダード、旧市街間5ペソまでしか下がらなかった。
(ちなみに、ベダードから空港まではタクシーで15ペソ。市内の移動に比べてこちらは割安)
parqまた、バスもたくさん走っていたが、ほとんどが中国製だった。キューバ通によると、クラシック・カーもずいぶん減ったし、バスはみんな新しくなっていて驚いた、とのこと。

かつての愛車、懐かしのスズキ・ジムニーを発見!おもに高級ホテルの宿泊客のために使用されていたようだ(写真)。


買い物
parq 12月は観光シーズンということで、ヨーロッパからたくさんの観光客が訪れ、一見すると、雰囲気は普通の観光地なのだが、やはり社会主義国ということで、他国とは少々趣が違う。
円高の恩恵にあずかろうと、すべてカード払いを狙っていたが、クレジット・カードが使えるのは一部の高級ホテルのみ。レストランやショップでは、まず使えない。
米ドルはどこでも換金できるがレートは悪い。今回は、ユーロと米ドル、それとわずかな円を持っていったのだが、レートのいい円をもっと持参すればよかったと後悔する。
また、土産物を売っているのは、旧市街の一部とホテルのみ。
一般の店らしきものもあるが、どこも入口が狭く、扉がしまっているので、入りづらい雰囲気だ。
友人いわく、カサ1本買うのにも、店の前で1時間近く並ばされた、とのこと(写真・売店の前で開店を待つ人たち)。

それでも、せっかくキューバに来たのだから、と、観光客向けの露天市を見つけては買い物に走る。
いつもなら、あとで買おう、とか、他の店と比べてから…、と躊躇して、結局買わないことがよくあるのだが、キューバの場合、ここで買わないとほかにないかも、と焦ってしまい、なんでも即決で買ってしまった。
私が単純なのかもしれないが、人間の購買心理ってオモシロイ、と自己分析。

サルサやジャズのCDは、ほとんどの店が15ペソだったが、ハバナリブレ・ホテル前の小奇麗なCDショップは半額。
高そうな店が安くて、安そうな店が高い、というのが面白い(本来は、どこで買っても同額でないといけないらしいが)。
ちなみに、ラム酒などは、帰る前にホテルの店で慌てて買ったら、空港ではもっと安く売っていた。

買い物天国の日本やブラジルではケチケチしてる私だが、キューバでは、物価が高いにも関わらず、買うわ買うわ…。
旅の途中から、「このお金がキューバの経済を救うのよ」、なーんて、ただの買い物欲をボランティア精神にすり替える調子の良さ。
モノは考えようとは言うけれど…。帰国して冷静になった後、買いすぎを少々、後悔。

人々
**スタイル抜群!**
1キューバ人の多くは、アフリカ系、スペイン系、そしてそのミックス、ということで、ブラジルと似ていなくもないのだが、アフリカ系の人たちの手足の長さには、思わず見とれてしまった。
ブラジルのアフリカ系よりも、はるかにスタイルがよくて、みんながバレーボールの選手のようだった。
子供も手足が長くて足が速そう(写真)。
短距離走の雄は、お隣の島ジャマイカだが、ここキューバも潜在能力は高そうだ。

**歯科矯正の友**
雨洩りのひどい小さな売店で水を買ったとき、若い店員が矯正中の歯を見せて「同じだね」と、笑いかけてきた。
ここハバナでも歯の矯正はさかんなのだろうか。医療と教育は無料で、レベルが高い、とは聞いていたが、歯科矯正までやっているとは驚きだ。

**チナと呼ばれて**
東洋人の少ないキューバなので、髪が黒くて目が細く、のっぺり顔は、嫌でも目立ってしまう。
でも、「チナ!」とあきらかな敵意を持って言われたのはたったの1回で、あとは、悪気のない「チナ」が多数。
「あんたチナかい?」と、話しかけられたときは「ノー、 ハポネサ」と訂正いれたが、面倒なときは聞き流していた。
中南米諸国で見知らぬ人から「日本人?」って、聞かれるのは、ブラジルぐらいだし、チナもハポネサも中南米諸国からみたら同じ国みたいなものなのだろう。

**コミュニケーション**
スペイン語が苦手なので、人々とのコミュニケーションはとりにくかったが、それでも、いい人には出会えた。
下手なスペイン語を話すと「英語でいいよ」って言ってくれた、映画館で隣に座ったお兄さん、
赤い木の実を拾ったら、「食べたら、フラフラになるよ」、と教えてくれた陽気なお姉さんたち、
褒め殺しでCDを売りつけた、ジゴロ風のおやじミュージシャン、
運転しながらスペイン語を教えてくれ、葉巻までくれた初老のTAXI運転手、etc....。
下手な言葉でも、なんとかコミュニケーションがとれたときに感じる喜びは格別だ。

食事
有機農業が盛んだと聞いていたのだが、どういうわけか、野菜がない…。
外国人用のホテルのビュッフェにも、野菜はほとんど並んでいない。
ハリケーン被害のせいかも、という人もいたが、野菜は輸出用なの?
レストランのメニューには、料理がたくさん書いてあるのにもかかわらず、いざ頼んでみると「終わった」「今日はないよ」とつれない返事。
唯一できる鳥肉料理は、注文してから狩りに行ってるの?ってつっこみたくなるぐらい出てくるのが遅く…。

正直、お腹がすくとブラジルが恋しくなった。
食が期待できないなら飲もう!ということで、毎食のように頼んでいたのが“モヒート”。
キューバ特産のラム酒を、砂糖、ペパーミント、水で割った軽いカクテルなので、昼からでも水のように飲んでいた。

ちなみに、CUBAで安くておいしい、と思った食べ物ベスト3は…、
JAZZライブハウス「La Zorra y El Cuervo」のピザ! 詳しくはこちら
「チョコレート美術館」のチョコ・シェイク、0.8ペソ!
Vedadoの23通りにあるシーフードレストランの魚定食11ペソ!


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観光スポット
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革命広場(写真左)
ハバナといえばここ。広くて何にもない広場だが、キューバ社会主義の中枢、と思うと、少しだけ緊張。
革命博物館(写真中央)
革命の歴史を知るならここ。庭には戦車と戦闘機、そしてカストロやチェが密航の際に乗ってきたグランマ号も展示されている。
旧市街(写真右)
オビスポ通りを中心にした古い町並みは、観光客でごったがえしていた。あちこちのレストランからは音楽が流れ、犬はのんびりシエスタ。右上写真のピンクの老舗ホテルは、ヘミングウェイの定宿「アンボス・ムンドス」。
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ガルシア・ロルカ劇場(写真左)
豪華なバロック調の劇場。スペインの詩人ガルシア・ロルカの名前がつけられている。
アート市(写真中央)
旧市街のアート市には、カラフルな小物や絵画が売られている。
ハバナ大学近くの町角(写真右)
愁いのあるさびれた街角。ハバナらしさがにじみ出ているお気に入りの風景。


音楽
1「キューバに行きたい!」と思ったきっかけは、ずばり、チェ・ゲバラのルックスとサルサ(軽ーい動機)。
レストランの料理はあまり期待できないが、音楽はサービス満点!レストランやホテルでは、必ずといっていいほどサルサやソンの演奏が付いているし、家々からは陽気な音楽が聞こえてくる。
キューバの人々は、ブラジル人に負けず劣らず音楽好きなようだ。

ライブ付レストランの多くは、演奏の合間にミュージシャンがチップ集めとCD紹介にテーブルを回るシステムになっている。なかなかの商売上手。
キューバの教育水準の高さは定評があるが、おそらく音楽の教育もしっかり行われているのだろう。演奏は、持って生まれたリズム感プラス音楽の基礎を学んだ質の高さも感じた。

JAZZ♪
1「La Zorra y El Cuervo」は、ハバナのVedado地区メイン通り「23」にあるJAZZクラブ。
ハバナリブレ、ベダード、ナシオナルといった大型ホテルのすぐそばにある。

毎日、店の前に張り出されるチラシをCHECKしていると、木曜の晩は、ロベルト・フォンセカ率いるカルテットのポスターが。
どこかで聞いたことがある名前だわ〜、ルックスもgoodだし。
と、単なる勘で、VAGABUNDAさん、MARYSOLさんを誘ってご来店。

夜10時からスタートのはずが、ここはラテンの国、なかなか始まりません。
1杯を軽ーく飲み終わったところで、ついに登場。いつのまにか、観客も大勢集まってきている。
これは、期待できそうだわ、と、ワクワク。
そして…。
一小節聞いただけで、大当たりを直観!
まるでNYにいるみたい〜♪

メンバー;Roberto Fonseca (p)
Ramses M.Rodriguez (ds)
Omar Gonzalez (b)
Javier R. Zalba (fl.ss)

若さあふれるリズミカルなJAZZに終始圧倒されっぱなし。
とくに気に入ったのは、ドラム!
体に染みついた感覚で、楽しそうにリズムを刻む姿は圧巻。
時間も忘れて、夜2時までJAZZを堪能する。立ち見客もいた会場は最後まで大盛り上がり!!
風邪気味でぼんやりした頭もスッキリ爽快^^!
会場にはリーダーのロベルトの彼女も来ていて、演奏後は熱い抱擁。意外にシンプルな感じの彼女でした。
さらに、料金はとってもリーズナブル。10ペソ(約1000円)で、飲みモノ2杯付き。この店のピザ、たったの3ペソで、具がいっぱい入ってて、味もMUY BIEN!
キューバでの食事には行く前からまったく期待せず、想像どおりの貧弱さ、だったのだが、ここのピザは味&料金ともに超おススメだ。

自宅にもどってさっそくRoberto Fonsecaをチェックしてみると…、すでにjazz界では知られた期待の若手だったようだ。超お得でした!!
以下、アマゾンの記事抜粋。

ロベルト・フォンセカ Roberto Fonseca
1975年ハバナで生まれたロベルト・フォンセカは、母親もシンガーという恵まれた環境で育ち、イラケレのサックス奏者ハビエル・サルバと結成したバンド"テンペラメント"で活動を始める。1999年にはキューバの音楽賞で最優秀ジャズ賞を獲得するなど、テクニックや音楽性において他国のピアニストをはるかに凌ぐ層の厚さを誇るキューバで頭角を表す。その後映画が大ヒットしたブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのコンサートツアーでピアニストとして世界中をツアーし大成功を収める。
そして2002年には「東京ジャズフェスティバル」にてハービー・ハンコックやウェイン・ショーター、マイケル・ブレッカーなど大物ミュージシャンと競演。キューバを代表する若手ピアニストへと成長した彼は今後も更なる活躍が期待されているアーティストである。

アディオス!
わずか1週間、ハバナ市内だけの滞在だったが、映画、観光、雨、晴天…、と、様々なハバナの姿を見ることができた。
世間では、自由がない国、と思われているキューバだが、想像以上に人々は陽気だったし、賢いし、人生の楽しみ方も知っていた。
これからキューバがたどる道は、きっと明るいはず。そんな希望を抱きながら、カリブの島を後にした。
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