旅先で出会ったCINEMAたち

南ベトナム編 Vietnam
2003.10.22-2003.10.28

メコン

  2003年10月。雨季も終わりにさしかかった南ベトナムへ行ってきました。
 数多くの映画の中で見てきたベトナムの姿と、実際のベトナムはどう違っていたのでしょうか。ベトナムでbossaが見つけたものは?!

 参照CINEMA:「インドシナ」「季節の中で」「地獄の黙示録サントラ


10月22日*日本→ホーチミン・シティ
10月23日*ホーチミン・シティ(メコンデルタ)
10月24日*ホーチミン→ニャチャン
10月25日*ニャチャン
10月26日*ニャチャン→ホーチミン・シティ
10月27日*ホーチミン・シティ→日本
10月28日*日本


10月22日

昼11時ベトナム航空で成田空港を出発。評判はよろしくないベトナム航空だが、とくに気にならない。ようは飛行機に何を求めるか、だろう。
安全に時間通り目的地へ運んでもらえれば、それだけで十分である。旅行シーズンでないからか、機内はガラガラ。おかげで、2席つかってゆったり座ることができた。
予定通り、3時半にホーチミン・シティへ到着。天気は曇り。
日本語の上手なガイドが出迎えてくれる。
 はじめてみるホーチミン・シティの印象は、“バイク”。噂にはきいていたが、とにかくバイクだらけ。女も子供もじいちゃんもばあちゃんも、みんなバイクに乗ってる。
ガイドいわく、「ホーチミン・シティでは一人1台バイクを持っている家庭がほとんど」だそうだ。想像していたよりも、随分贅沢してるではないか。
 ここで、まず、つい最近まで戦争してた貧しい国ベトナム、のイメージが脆くも崩れ去る。
20分ぐらいで、高級街(日本で言えば銀座)ドンコイ通りにある名門ホテル「マジェスティック・ホテル」へ到着。さすがは、歴史のあるホテルだ。天井は高いし、きれいだし、調度品も高級そう。ただし、水回りだけは、古いホテルのせいか、よろしくない。バスタブの水漏れはひどいし、お湯はすぐに出なくなる。まあ、仕方ないこと、とあきらめた。
ホテルで少しのんびりしたあと、近場をウィンドウ・ショッピング。おしゃれで小さい小物屋がたくさんあり、見ているだけで楽しい。バッグや靴、食器など、かわいいものばかり並んでいる。日本人女性に人気が出るのも納得である。
 あたりが暗くなってきたので、「キンバッククール」というしゃれた店でベトナム料理を食す。定番の「生春巻き」「ソフトクラブシェル」などを食べる。食前に出てきた、いい香りのするお茶は何?とたずねると「蓮茶」だという。ちょっと癖があるが、さわやかな飲み心地で気に入った。

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10月23日

6時に起床。道を隔てた隣の公園でなにやら怪しげな音楽?が。
うなっているのか歌っているのかよくわからないのだが、大音量でかけているので、さすがに起きてしまう。どうやら、太極拳の音楽らしい。
朝食は、ホテルのビュッフェ。これが、とってもおいしい。洋風からベトナム風まで、一通りそろっているのだが、どれもGOOD。なかでも、フルーツがおいしい。ザボン、ドラゴンフルーツ、グアバなど、南国フルーツを楽しむ。
 7時45分、メコンデルタツアーのガイドが迎えにくる。
 日本から、インターネットで予約した格安ツアー(約7ドル)だったのでちょっと心配だったが、ガイドもいい人そう(かわいい笑顔!)で安心する。
 ツアー会社はバッグパッカーが集まるファングーラオ通りにあった。周りは見事に白人だらけ。同じツアーの客もスウェーデン人、オーストラリア人、フランス人。特別料金を払ったわけではないのだが、日本語ができるガイドもついてくれた。なかなか良心的だぞTNKトラベル。
 一応舗装されてる道を2時間かけて、メコン川へ向かう。途中で晴れてきて、日差しも強くなる。雨を心配してたので、よかった。

 船着場に到着し、いよいよメコンデルタツアーへ。
 川は、雨季の終わりということで、水かさもかなり多いドロ川。デルタ地域に出ると、視界が開ける。見渡す限りマッドカラーの水。うだるような暑さの中、この川を幾日も見続けていたら、「地獄の黙示録」の兵士たちのように気持ちがマッドになるのもわかる気がした。泥川の上流のジャングルには、カーツ大佐がいるのかも。そんなことを想像しながら代わり映えのしない景色を眺める。私の心中のBGMはもちろん、ドアーズの「THE END」だ。

メコン川  途中、ミトーで下船して市場を見てまわる。再び乗船し、小さな島へ。
 ジャングルのような道を抜け小さな小屋で昼食をとる。エレファントフィッシュと呼ばれる魚は見るだけにして、私たちは、まずい焼きそばを食べる。
 続いて、ココナッツキャンディを作っている家を訪れる。作りたてのココナッツキャンディがおいしかったので、お土産用に何種類か買う(約3万ドン)。
 さっきまで、晴れていたのに、突然雨が降り出した。やっぱりここは南国。たちまち雨脚が強くなる。念のためカッパを持ってきてよかった。
 つづいて、ハチミツを売っている小さな店へ行き、ハチミツとキンカンを混ぜたお茶を飲む。雨に打たれたあとなので、おいしい。フランス語が堪能な老人が、フランス人観光客となにやら談笑している。今まで訪れたアジアでは見られなかった光景だ。ここは、長い間フランスの植民地だったのだ。島にある家の作りもどことなくモダンで西洋風なのは、フランス植民地時代の名残なのだろう。
ここで、ココナッツの砂糖漬けを食べる。美味しい!さっそく購入(約1.5万ドン)。
しっかり、うまい商売にひっかかる日本人観光客と化していた。
 雨はいっこうに降り止まない。土砂降りのなか、ベトナムの笠をかぶり4人乗りの小船に乗船。舟漕ぎの女の子は12,3歳ぐらいだろうか。笑顔がとってもかわいい。「カモン」(ベトナム語でありがとう)と一言いうとにっこり笑ってくれた。通じたのかどうかは?
メコン川  雨のジャングルの中、細い水路を小船で移動。ちょっとサバイバル気分。
 あっという間に小船は終わり、再び、ボートに乗って、帰路に着く。途中、フランス人と一緒にきていた裕福そうなベトナム人のおじさんから、アセロラの塩漬けをもらう。正直、まずかったが、おじさんはおいしそうに食べていた。日本でいう梅干か?体にはよさそうだ。
 雨はまだやまない。ホーチミン・シティへの帰り道は、ポンチョを着たバイク野郎であふれている。みんな、よく事故に遭わないよなあ。バイク野郎のポンチョにもいろいろなデザインがあり、若い女性なんかは、キティちゃんのポンチョを着ていたりする。ほぼ毎日使うものだから、みんなポンチョでオシャレしているのだろう。
 途中、カフェ(掘っ立て小屋)に立ち寄り、休憩。運転手のおじさんが、ベトナムコーヒーとフランスパンのサンドイッチを食べてたので、私も真似してコーヒーを頼む。濃いコーヒーに砂糖をいっぱいいれて呑むのが習慣らしい。
 ホテルに5時ごろ戻り、シャワーを浴びてディナーへ。
 ヒルトンホテル近くの「タンナム」というベトナム料理屋にいく。日本語メニューがあり、日本人駐在員らしき家族も来ている。ここでは、サトウキビのつくね巻き(正式名称は忘れました)がおいしかった。最後にトマトとパイナップルが入った甘すっぱい鍋を頼む。野菜がたっぷりで体によさそう。が、2人で食べるには多すぎて、ほとんど残してしまう。二人あわせて全部で23万ドン。量の割に安くておいしかった。

 「雑感」
 ベトナムのお金は本当に使いにくい。1000ドンが約10円らしいのだが、とにかくゼロが多すぎて、1000ドンか1万ドンかお札の区別がすぐにできないのだ。ベトナム・ドンはとうとう、最後まで使いこなすことができなかった。
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10月24日

7時に起床。今日も天気は上々。おいしいホテルのビュッフェで朝食をとる。今日は、フォーを食す。生野菜とハーブをたっぷり入れたヘルシーな朝ごはんだ。そしてしめはもちろんフルーツだ。ミトーの市場で買ったミカン&ザボンはまずかったが、ここのはサイコー。
 9時にホテルを出て、歩いて「戦争証跡博物館 WAR REMNANTS IN VIETNAM」へ。途中迷いながらなんとかたどり着く。相変わらず町はバイクだらけ。午前中だというのに歩くとやっぱり暑い。ここは常夏の町、ということを忘れていた。
 博物館を見ると、今の町の活気がうそのよう。つい30年前までは、ここは戦場だったのだ。沢田教一やロバート・キャパ、といった日本でも有名なカメラマン以外にも、数え切れないほどの戦場カメラマンが戦場で命を落としていったことを教えられた。数々の戦場の写真を見て、胸が苦しくなる。
 戦場の写真のほかに、米軍の戦車や戦闘機も飾ってあり、生々しさを感じた。
 フランスやアメリカに翻弄され、苦しみながら生まれた「ベトナム」という国の歴史をここで少し紹介したい。

 【ヴェトナム近代史】
1884年 フランスとベトナム間でパトノゥル条約を締結。フランスの植民地となる。
1899年 フランスはさらに、南部ベトナム、北部ベトナム、中部ベトナム、カンボジア、ラオスのインドシナ連邦を植民地化する。
1940年 日本軍がベトナムへ進駐
1945年 日本が無条件降伏。
9月2日
ホーチミン*が独立宣言。
9月23日
フランス軍がサイゴンを占拠。 第1次インドシナ戦争が始まる。
1949年 ベトナム南部がフランスの後ろ盾でベトナム国設立。アメリカとイギリスもベトナム国を承認する。一方、ホーチミン率いるベトナム共和国を中国とソ連が承認し、ベトナムにおける資本主義vs共産主義の構図が出来上がる。
1954年 北部ディエンビエンフーでフランス軍がベトナム共和国軍に降伏。 ジュネーブで休戦協定が結ばれ、北緯17度線で南北に分割される。
1955年 フランスに代わってアメリカが後ろ盾となった反共産主義政府が南ベトナムに設立される。
1964年 トンキン湾事件。米軍の北爆開始。本格的なベトナム戦争が始まる。
1968年 北ベトナムがテト攻勢開始

1969年

ベトナム戦争のさなか、ホーチミン死去
1970年 隣国カンボジアでクーデター。シアヌーク元首が追放され、ポル・ポト派の圧制が始まる。
1973年 米軍がベトナムから撤退する。
1975年 北ベトナム軍がサイゴンへ進入し、南ベトナム軍が無条件降伏。ベトナム戦争終結。
1977年 ベトナム軍がポル・ポト政権下にあったカンボジアへ侵攻。
1979年 カンボジアのプノンペン陥落。
1986年 ドイモイ(改革)政策が打ち出される
ホーチミン:
 1890年 ベトナム中北部で生まれる。
  小学校教師を経て、フランス商船のコック見習いとして世界各国を渡り歩く。
 1917年パリでベトナム独立運動のグループと出会う。
 1920年 フランス社会党大会でインドシナ代表として発言。
 1930年 香港でベトナム共産党を結成。フランスはベトナム人運動家の取締まりを強化。ホーチミンの逃亡生活が始まる。
 1941年 30年ぶりに祖国へ戻り、ベトナム独立同盟(通称ベトミン)を結成。
  後に、蒋介石軍によって中国国内で投獄される。
 1944年 帰国。フランス軍へゲリラ攻撃。
 1945年 日本が降伏した翌日、ベトミンの総決起集会を行う。
 同年9月2日 ハノイで独立宣言。
 1969年9月2日 死去


記念館では神妙な気持ちになったが、今のベトナムの人々は元気である。
ホテルまでの帰り道、ベンタイン市場を覗いてみる。さまざまな品物があふれた市場の様子をみて、あらためてベトナム人の生きるパワーに圧倒される。彼らはちょっとやそっとではめげない力を持っている。辛い日々を耐え抜いてきたという強いプライドをそこに感じた。
 12時にチェックアウトし空港へ。長い待ち時間を経て、小さなプロペラ機でリゾート地ニャチャンへ向かう。
 小型機は、シートベルトが壊れてて唖然。あきらかに大きさの違う金具がついているのに、スチュワーデスは無理やりはめようとしていて笑えた。
 プロペラ機からホーチミン・シティの街を眺める。予想以上に街は大きく家もたくさん建っている。都会だなあ。

 1時間でニャチャンへ到着。中部は雨季に入っている、という情報だったので、天気を心配していたが、青空が見える。
 小さな空港に着くと、「アナマンダラ・ホテル」の日本人スタッフが2人も迎えに来ていた。さすが、ニャチャン1のリゾートホテルだ。
 ホテルのロビーは予想どおり開放的で、いい感じ。何より日本人スタッフがたくさんいるので安心できる。
 部屋はこじんまりしているが、すべてビラタイプになっているので落ち着ける。
ベッドは天井から蚊帳がぶら下がっている。蚊帳の中で寝るのは初めてだ。
 することもないし、昼食をちゃんととっていなかったので、早い夕食にする。 海風にあたりながら、のんびりベトナム料理を食す。お酒も入っていい気分。旅の緊張が一気にほぐれる。  旅日記Topへ


10月25日

6時半起床。お天気良好。ビラのテラスでくつろぎながらリゾート気分を満喫。 7時過ぎ、ホテルのビュッフェでゆっくり朝食をとる。
 早起きしたので午前中が長い。まだ9時だというのに、水着に着替え、ビーチで海風にあたる。やわらかい日差しにウトウト。早いお昼寝タイム。
 ホテルの客もチラホラ海に出てきた。子供たちは元気に海に入って遊んでいる。私も負けじと海へ入る。波はあらいが、おもったより水は温かい。砂がサラサラなので、海から上がってもべたつかない。
 昼。風が少しでてきたので、ホテルのプールへ移動。プールはちょうど水平線と平行してできていて、プールに浮かびながら海を眺められるようになっている。開放感が気持ちいい。
 オール・フリーの時間をひたすらのんびり、何も考えずに過ごす。あっという間に2時半になったいた。
 夕方、ホテルのシクロでニャチャンの町を走る。町をのんびり眺めながら移動できるのでシクロは気持ちがいい。バイクも多いがホーチミン・シティと違って運転は荒くない。
街角の路地で床屋が子供の髪を切っている。床屋って店はいらないんだなあ。こんなところで気づかされるとは。
ニャチャンの市場はこじんまりしている。あんまり品物もないので、スーパーマーケットにいき、食材を買い込む。
ビーフンやライス・ペーパー、ニョックマムなど買い込む。 旅日記Topへ


10月26日

6時半起床。今日も早起き。普段は起きれなくて困るのに、旅にでると早起きが楽しい。(あたりまえか)
今朝は昨日以上にいい天気。
8時半にエステへ。ミストサウナはシトラスミントの香りがして気持ちいい。フェイス・マッサージをしてもらう。
11時半にホテルをチェックアウト。何もない空港で長い間待たされる。ホテルの人の言いなりにならず、もうちょっとホテルにいればよかった。

1時半にホーチミン・シティに到着。ここからは迎えもないので、自分たちで移動。タクシー運転手は良心的だった。
「マジェスティック・ホテル」の部屋は今度は川側でなく2階のプール側。少し狭いが、とっても静か。
 さっそく街歩き開始!
市場 バチャン焼、バッグ、シルク製品などなど、買いたいものはいっぱいあるのに、いつもの癖でなかなか決められない。
いたるところに日本人女性の買い物客がいる。日本人客をターゲットにした店も多く、店員に日本人を使っていた。
知らないうちに日本人女性はいたるところに進出しているようだ。海外に出るといつも思うのだが、日本人の個人客はほとんどが女性である。女性のほうが時間が自由になりやすい、ということもあるのだろうが、日本人男性ももっと積極的に海外へ出かけていけばいいのに。
ホーチミン・シティのメイン市場「ベンタイン市場」を散策。
大きくて何でもそろっている。客引きもしつこいので、ちょっとうざったかったが、まったく言葉の通じないおばさん相手に悪戦苦闘しながら海老の干物を買ったり、姪っ子&甥っ子のお土産を買ったりする。
夜は、ヒルトンの前にあるフレンチレストランでベトナム風フレンチを食す。値段は安かったが味も日本のランチなみ。正直ちょっと期待はずれ。   旅日記Topへ


10月27日

いよいよベトナム旅行最終日。天気にも恵まれ、危険な目にも遭わず、お腹も壊さずここまでこれたのが何よりうれしい。「マジェスティック・ホテル」のおいしい朝食を食べるもの今日が最後。錦糸町に姉妹店「サイゴン・マジュー」という姉妹店があるらしいので、日本に帰ったら行ってみたい。
バチャン焼の店で小皿や湯のみ、茶碗を購入。柄も色も気に入ったものが買えて大満足。お昼は地元民で賑わう店へ。さすが地元の人が多いだけあって値段も味もGOOD!
 街歩きは楽しいがここは南国。暑さが身にしみる。疲れを癒すため、最後に「サイゴン・スパ」へいき、泥エステ。客は見事に日本人だらけ。店員もみんな日本語を勉強している。自分も含め、恐るべし日本人女性。
 最後の食事は歩くのも疲れたのでホテルの近くにある中華風レストランへ。音楽もついていて観光客向けの店。お腹の調子が悪くなりつつあったので、あまり食べずに最後のディナーを終える。
 9時ごろホテルを出発。
いよいよベトナムとお別れ。街の明かりや、バイクにまたがるベトナムのお姉さんたちを横目に空港へ。 また、来たい国ベトナム。しばしの間お別れです。この次遭うときには、今以上に発展していることでしょう。

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10月28日

朝7時半。成田にほぼ定刻どおり到着。眠い。辛い。ロビーでバスを1時間待つ。
旅は楽しかったが、日本に戻って早々、スポーツ新聞で「ダイエー日本一」の見出しをみて、がっくりと肩を落とす。星野阪神敗れたり…。これが現実というものか…。
「旅の終わり」と「祭りの終焉」を同時に向かえ、むなしさが倍増する。
また、次の旅の計画でも立てようかなあ。「現実逃避」と言われようが、好きなものは好き!旅はやっぱりやめられません♪

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