旅先で出会ったCINEMAたち

タイ編 Thiland 
1999.5.18-5.27

  バンコク、アユタヤ、プーケット、ピピ島の旅日記です。(かなり長文です)
 「アンナと王様」に出てくるユンファ似の殿方は、はたして見つかったのであろうか…。
乞うご期待!
映画評はこちら)(「アンナと王様」の王様は誰がモデル?)


5月18日**日本→バンコク
5月19日**バンコク→アユタヤ
5月20日**アユタヤ→バンコク
5月21日**バンコク
5月22日**バンコク
5月23日**バンコク→プーケット→ピピ
5月24日**ピピ→プーケット
5月25日**プーケット
5月26日**プーケット→バンコク
5月27日**バンコク→日本


★5月18日

6時15分成田を出発。 初めてのビジネスクラスで、リッチな気分に。
座席もスッチーもエコノミーとはえらい違い。これでラストになるかも、とビジネスを満喫。
椅子はマッサージつき、ビデオモニターが一人1台ついていて、シャンパン、ワイン、食後酒飲み放題。
なので、5時間なんてあっという間。もっと乗っていたかったぐらいです。
10.50PM
 定刻にドン・ムアン空港へ。空はすごい稲妻で自然の力を感じる。到着後、すぐに大雨。南国を実感する。
ビジネスだったため、荷物のピックアップも待たず、両替も並ばずにすむ。
「アジアエアポートホテル」の迎えもすぐわかりひと安心。迎えのお兄さんと軽く会話。和やかな雰囲気。
バスの乗客は私一人で、ホテルは大通り沿いのはずが裏通りの真っ暗な道へ。どーしよ…、このままさらわれたら…。
私をさらっても大金は出ないよ。
(後でわかったことだけど、タイの道は非合理的にできていて、大通りを逆に戻るのに、えらい時間がかかることが判明。
運転手はそれで、あんなに裏通りを使っていたのでした。)12時頃にホテル到着
「アジアエアポートホテ」ルはやたらに大きく、部屋も広く、まあ新しかった。
ただ、備品が何もないのには驚き。1700B(1200B+朝食代)は打倒な線なのだろうか?
 フロントで翌日の予定をすぐに聞かれた。空港ホテルだから、その辺は抜かりない。
さそく、「アユタヤ行きのバスに乗りたい」といったら、バスはないって言う。どーしよ、さっそく予定が狂ってしまった。
メールで問い合わせたときは、あるって言ってたのに…。英語がここではうまく通じず、私も下手な英語を暴露。
フロントの人は空港まで戻って、鉄道で行くように言う。そんなのここに泊まった意味がないじゃない……。
けど、右も左もわからない私は従うしかないのでありました。さいわい、駅までは送迎してくれそうだし。
ただ、鉄道にうまく乗れるか、アユタヤでうまくホテルを見つけられるかが問題。
バンコクに戻って、ツアーに参加しちゃおうかな、
とさっそく弱気になるが、せっかくの冒険なんだから、やるだけやってみようと奮起する。
【雑感】
今思えば、このホテルの選択は正しかったと思う。
空港からバンコクまでは一人だと往復で600B以上かかるし、それと、何よりもタクシーの運転手に問題が多いので、
送迎がしっかりしているエアポートホテルは安心。
もし、また深夜着の時は空港近くのホテルにしようと思った。
ウエスティン・ホテルはすてきだったけど、滞在時間が短くて、やっぱりもったいなかったな、とあとで思った。
都心は居心地よりも便利なホテルを選ぶべし。

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★5月19日

5時AMに目が覚める。さすがに緊張しているのだろう。
部屋でダラダラして、朝食を買いに出かけるが、店は10時からしか開かないという。
しかたないので、食堂へ。何かのセミナーに参加している白人が大勢泊まっていてびっくり。
ベトナム人だという男性と相席になり、少し話す。
このホテルで3日間、セミナーだそうだ。いろいろな団体があるのね。まずいコーヒーをお代わりして席をたつ。

9時にチェックアウト。空港への送迎バスに乗る。
アメリカから戻ってきたという親切な女の子に通訳してもらって鉄道のエアポート駅まで乗せてもらうことにするが、えらく遠回り。
空港で降ろしてもらって歩いた方がずっと早いのに…、とイライラ。親切なんだけど、合理的じゃないんだよねー。

列車に乗り間違えてさっそくパニック?!
駅の改札で「アユタヤまで」と言ったらたったの11Bだという。
「間違いじゃない?」と疑ったけど、あとで足せばいいや、と、そのままにする。
バンコクは右、アユタヤは左、と思い込んでいた私の前に、左側から列車が到着。
たぶんこれはバンコク行きだな、と思いながらも、念のため駅員に「アユタヤ?」と聞いてみると「乗れ」と合図する。
「そっか。私が勘違いしてたのね」と、素直に乗ることに。だが、回りは農民っぽい人たちでいっぱい。一気に緊張が高まる。
旅人らしき人が誰もいない、言葉がまったく通じない始めての経験だ。
途中、少し町らしいところを通過するが、またすぐに田園風景に。
ここで私は「やっぱりバンコクに向かっているのだ」と早合点。風景はどんどん田舎になっていく。
ひょっとしてバンコクを過ぎてしまったのかも。という不安で頭がいっぱいになり、なぜか確信に変わってしまう。
「どーしよう、こんな田舎じゃ、タクシーもつかまらない……」勇気を出して前のおばさんに地図を見せ、
バンコクを示すがまったく通じない。隣りのお兄さんに見せたら、バンコクは逆だという。
(ここでなぜ「アユタヤ?」と聞かなかったのかは自分で理解できない。たぶん、パニくってたのだろう。
目の前、真っ白になりそうで、吐き気がしたくらいだから)冷や汗かきながら慌てて、次の駅で下りる。
すぐに、駅員に地図を見せるが、駅員は「アユタヤ?」という。
そうそう、私はアユタヤにいきたかったんだけど、間違えてバンコクに戻ってさらに逆送してしまって………。
と、説明できるはずわけない。そしたら、駅員は「次の駅だよ」。え??アユタヤは次の駅だったの??
「10分で次のが来るからまってな」。
なーんだ、間違ってなかったのね。私ったらほんとアホ。
さっきの絶望から、一転して安堵。笑い話で済んで、ほんとよかったよかった。
駅員のいうとおり、列車に乗り直し、こんどこそ本当のアユタヤへ到着。

アユタヤで「トゥクトゥク」をチャーター そしたら、案の定、トゥクトゥクのお姉さんが寄ってきた。
「ホテル、決まってるのか?」としつこいので、とっさに駅の近くだという「テラワータンリンホテル」を示す。
事前に調べておいて良かった。送ってやるというから乗ったら、歩ける距離だった。
ホテルでは、まず「部屋を見てから決めろ」というお姉さんに従い、部屋を見せてもらう。
ちょっと古いけど、清潔そうなので、決めてしまう。窓からは、バサック川が見えて、雰囲気もいいし。
列車の件で消耗してたので、早く休みたかったのが本音だ。
トゥクトゥクのお姉さんはしつこく、「自転車借りるから」と言っても引き下がらない。
「部屋で休みたい」といったら「待ってる」というから勝手にさせることにした。
少し部屋で休んで12時にロビーに降りていくと、まだお姉ちゃんが待っていた。よっぽど客がいないのだろう。
2時間の約束でチャーターしてしまう。まずは、「ワット・チャイ・モンコン」ヘ。続いて「ワット・プラ・マハタート」。
ここは、ホントに、レンガ色の遺跡がたくさんあって、さすが世界遺産だ!


木の根にからまった仏像は不思議だった。 その後、首から上のない仏像がたくさんある「ワット・チャイ・ワタナラム」とか、寝てるお釈迦さま、 「ワット・ロカヤ・スター」とかを見て回る。
どれがどれだか区別がつかなくなったけど、天気もよく、観光した!って感じ。
ツアーよりも、自分で勝手に回れるので、よく見られた。
チャーター延長の誘いを断り、「チップ、チップ」とうるさいおねえちゃんに後で、と言って、
430B払ってマーケットに行ってもらう。ちょっとした村の市場という感じ。
ライチを買って現地の人とコミュニケーション。
高校生がたくさんいて、どこでも一緒だな、という感じ。お腹が減っていたので、スーパーの上の食堂で、春雨ラーメンを食べる。
適当に頼んだのに、意外においしくて感激。見た目は悪いし、辛くはないんだけど、独特の香りがなんともいえない。
とくに見たいものもないし、やっぱり暑いので、セブン・イレブンで水とあやしいライスを買い、沈みそうな渡り船に乗って、ホテルに戻る。あー、疲れた。シャワーだ!

夕暮れ、冷蔵庫で冷やしたライチを食べながら川を眺める。異国情緒を満喫。
少し元気になったので、散歩。駅で、人の流れを見てホテルに戻ると7時前なのに、もうお姉ちゃんが戻っていた。さっそくライトアップツアーヘ。 町はずれの「ワット・チャイ・ワタナラム」が一番良かったかな。ちょうど、空が濃紺の時間で、色の感じが幻想的。ライトアップツアーは真っ暗になる直前がオススメだと思った。 次は、「ワット・プラ・スリ・サンペット」へ。こちらはオレンジ色のライトアップで写真通りの美しさ。その後、いくつかみたんだけど、あとはどれも同じに見えた。お姉ちゃんが写真をたくさんとってくれたりして、30分のはずが1時間に。さらに、「チップチップ」とうるさく言われ、ちょっとうんざり。
 7:30PMにホテルに戻り、夕食へ。が、となりのレストランに行きたかったのに、間違えてホテルのレストランに入ってしまう。「外のレストランは蚊が多い」というガイドブック通り、蚊の攻撃にあう。隣りは、けっこう客が入っているのに、こちらは2組だけ。頼んだカレーは思った以上においしくて、エビもいっぱい入っていて、さらに辛くて大満足。アルコールも入ってかなりいい気分だ。そういえば、前の日は4時間しか寝ていなかった。疲れてるはずだ。9時頃、部屋に戻り、再度シャワーを浴びて就寝。ぐったりで、さすがに熟睡した。

【雑感】
トゥクトゥクのおねえちゃんはいい人なんだけど、お金にはうるさい。でも、仕方ないかも……。
そう思わせる風景を列車の窓から見、乗客から感じてしまった。
やはり、日本では想像できないほどの貧しい暮らしぶりにちょっとショックだった。
どうみても小奇麗な私は浮いていたし、金を要求したくなるのも無理ないかもと思った。私って恵まれてる。
日本じゃ仕事もないけど、タイの人たち見て、どうにか生きていこうと勇気づけられた。
これは、バンコクとかリゾートだけではわからなかった実感で、アユタヤで1泊してほんとよかった。

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★5月20日

7:30AMに目が覚める。川の流れを眺めながらタイの田舎の雰囲気を楽しむ。
8:30AMに散歩へ。でも、かなり暑くて遠出はできそうにない。病気持ってそうなのら犬がやたらに多くて、ちょっと怖い。
川を眺めたあと、屋台というか、外にある食堂で「FRIED RICE」を頼む。
なぜか出てきたのはおじやみたいな、スープに入ったごはんだった。
でも、さっぱり味でパクチーの香りがきいてて、朝食にはよかった。隣りで警官が食べてるチャーハンは何だろう?
屋台で、ずっと気になっていた真っ赤なトゲトゲのあるグロテスクな果物(ランプータン)を買う。
言葉が通じなかったけど、なんとか少しの量にしてもらう。たぶん、バンコクより安いだろうから、バンコクへの土産だ。
10時にホテルをチェックアウト。900バーツにマケてくれた。そして、駅へ。
ベルボーイが荷物を駅まで運んでくれて助かる。バンコクまでは15B。安すぎる!!
そしたら、運よく電車がすぐにきた。時刻表はほんとあてにならないみたい。
今度は駅員らしき人に何度もバンコク?と聞き、方向も間違いなかった。
反対側にはホームがないので、みんな線路で待つのよ。日本ではちょっとない光景。
どんな田舎町でも、ホームあるからね、日本は。よし!今回は完璧だ!と喜んで電車に乗る。ところが……。
途中で車両故障らしきことがおこり、1時間以上待たされたあげくに、短い車両に乗り換えをさせられる。
もう、混んでて汗だく。バンコクまで2時間以上かかってしまう。
まあ、これがローカルね、なんて、楽しんでたけど。
ほんと、ローカルな乗り物は時間が読めない。何も予定がないからいいけど、飛行機乗るとかだったらアウトだったよ。

12:30にバンコク駅に到着。
さすがに大きな駅で、旅行のインフォメーションのおじさんがさっそく近寄ってきたけど、無視。外はどしゃぶりの雨。
白タクも無視して、黄色と緑のタクシーに乗り、「パトゥムワン・プリンセス・ホテル」へ。
さすが、倍額出しただけあってきれいなホテル。新しいし、英語もうまいし。
始めがアユタヤだったので、バンコクはお上りさん気分。都会ですねえ。
けど、部屋はタバコ臭くて、蚊が飛んでたので、蚊取り線香をたいた。
都会でも高級ホテルでも蚊だけはいるのね。またまた疲れたので2時まで部屋で休憩。
雨もやんだので、付近の散歩へ。けど、車と、高速道路と工事中でどこだかよくわからない。
地図を広げていると、中国系のおばさんが話かけてきた。「サイアム・スクエアに行きたい」というと、
「高いから違うところがいい」、という。「ちょっと怪しいな」と思ったけどすごーく親切でいい人っぽいので、
案内されながら歩く。いろいろ話ができて楽しかった。
「アユタヤには毎年行ってるわ」とか「日本に行ってみたいわ」とか、言っていた。
言葉のわからない場所に来ると、誰かと話がしたくなるものなのだ。
で、怪しいとわかってても話してくれるとつい、付いて行ってしまう。 これが甘い罠というのでしょうか。
でも、おばさんは土産物屋を教えてくれただけだった。礼を言って店に入るが、1分で出てきて、戻ることに。
マージンもらってるようにも思えなかったけど、知り合いでも勤めてるのかしら?
そういえば、今日は朝から何も食べてない。お腹すいた…。

で、マーブン・クローン・センター(MBK)の職員がいくような食堂に入る。
でも、何頼んでいいかわからなくて、また春雨スープに落ち着いた。
ここも味がよくて、感激。店を軽く見るが、服とかは興味なかったので、化粧品を見る。
怪しげな店がならんでて、もろ偽物とわかるものもあり、ちょっと買うのが不安になる。
けど、となりの東急でみたら、ローションが1000B近くする。香港の方が安い。
免税店の方が安いかな、と思い、今日は買うのをやめることに。
道の向かい側のビルにおしゃれなコーヒー店があったので、おいしいコーヒーを飲みながら道行く人々を眺める。
都会の人はさすがにおしゃれ。でも、女の子はみんな半袖だ。ノースリーブばかり持ってきてしまったことをちょっと反省。
国によってファッションも微妙に違うんだな。少し元気になったので、サイアム・スクエアをフラフラ。
さすが都会。店がいっぱいだ。

6時。足が棒になったので、ホテルに戻ってシャワーを浴びる。ホテルと店が近いと便利だね。

8時に食事に出かけるが、MBKはほとんど終わっていて、上の食堂も片づけていた。
香港とは違って店が閉まるのがはやい。やっぱりここは中華圏じゃないのね。
遠くにいくのも面倒なので、サイアム・スクエアの[EARTHQUAKE]という店に入る。
「地震」なんて変な名前の店だ。でも、メニューは写真つきだったのでよかった。
疲れのせいか暑さのせいかあまり食欲もなかったのでパッタイだけ食べる。まあ、おいしいかな?
ここでビール飲んで、部屋でもまた飲んで、もうぐったり。
3日目で旅の疲れ。9時ごろ寝てしまう。
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★5月21日

朝4時に1度目が覚める。ごろごろして、7時半に朝食へ。普通のビュッフェだった。
9時に銀行が開くと思ったら9時半だったので、バス停でバスのナンバーをチェック。よく来るナンバーを控える。
(これが後ですごく役立った)
9時半になったので、銀行で両替。2万円をバーツに変える。レートは空港と変わらない。
両替はどこがいいか悪いか一律じゃないので、運だな、と思った。
銀行のお兄さんが人のパスポートのスタンプを熱心に見ているのでちょっとやな感じ。
1日目に着たチノパンが臭くて、シャツのように手洗いもできないので、ランドリーサービスに出すことに。

バンコクツアー開始!
その後、タクシーで「ワットポー」へ。
道が混んでいて、さらにチャイナタウンは「ごちゃごちゃ」という表現がピッタリの街で、信号もないようなところ。
看板も漢字だらけで、タイじゃないみたい。ホテル、このへんにしなくてよかった。ワットポーには、観光客がたくさん。
けど、肝心の「寝てる大仏」がわからなくてふらふらしてしまった。マッサージは高いのでノーサンキュー。
やっとみつけた大仏はさすがに大きかった。
でも、日本人にとって、大仏は見慣れたものなので、西洋人ほど感動はないんだよね、きっと。
寺を出て、道の物売りのおばさんに地図を見せるが首を振るだけ。
しかたないので適当に歩いてたら、すぐに船付き場(ター・ティアン)が見つかった。そこがまた貧民窟のよう。
水の上の屋台って、やっぱり不潔感があって、お腹すいてたけどさすがに食べる気はしなかった。
船の乗り方がよくわからなくて、しばらく座って様子をみていた。
何度もやってくるのはどうやら、「暁の寺」のある対岸への渡し船らしい。
始めは「パックロンタラ」に行こうと思ったけど、下りの船に乗りそびれてしまったので、上ることに。
船は以外に混んでいて、白人も大勢。待つのは20分、乗ってるのは3分。
ここバンコクでは、船は車より速いことを実感。さらに、4Bという安さ!

ゲストハウス通り「カオサン」は白人の巣窟
カオサン通り近くのピア(バンランプー?)でおり、適当に宿屋に入ってランチ。
面倒なのでまたパッタイを注文。
ここは大学の近くらしく、白人の生徒や先生が勉強してた。ちょっとタイじゃないみたい。
で、地図にそってカオサン通りヘ向かうが、これが意外に遠い。途中で水を捨てて歩く歩く。
やっと、それらしき通りが見つかる。
入るとそこは白人バッグパッカーの巣窟。昼間から店でダラダラ映画なんか見てる。
白人だらけでへんな感じ。ここに泊まったら、旅人の友達は出来そう。
けど、結局、現地の人とはあまり触れ合わないで終わるんだろうな。
個人で来る白人も自分たちの仲間としか触れ合わないんじゃ、団体ツアーの日本人とそうかわらないな、と思った。
やっぱり、異邦人が現地に溶け込むには、そこで働くとか学校行くとかしないと無理なんだろうね。
土産物はずーっと道に並んでいて、白人が好きそうなエスニックな腰巻きがたくさんあった。
カオサン歩いてたらまた雨。どんどん強くなってくる。さすが亜熱帯です。

宮殿でダンスを見るはずが……
ちょうど通りにでたのでタクシー拾って「ビマンメーク宮殿」へ向かうことに。
でも、タクシーの運転手にいくら言っても通じない。
地図を見せて、やっとわかってもらった。発音がまったく違ったらしい。言い直された。
ちょうど2時前に到着。目的のダンスを見に行くが、どこでやってるのかわからず、
宮殿中のツアーに中国人と一緒に連れていかれる破目になる。時間がないよー。
でも、ここは王様の所有物なので、警備がやたらに厳しい。一人で見てまわることが許されないらしいのだ。
途中でダンスを発見。ロープがはってあるんだけど、ずうずうしく座って見ることに。
けど、途中で警備の人に駄目だと言われてしまい、慌てて外に出る。
ゆっくりダンスを見られなかったのは残念。あとはだだっぴろい敷地に建物があるぐらいでつまらなそう。

【「王様」に関する一口メモ】
1860年代のタイ(当時シャム)の王様、ラーマ4世・モンクット王は「王様と私」「アンナと王様」のモデルとして有名。
この王様は、20歳から出家し、27年間僧院生活を送っていた。
その間に学問的知識と語学力、西洋文化に対する造詣などを深め、
乱れ始めていた仏教をただすリバイバル運動を起こすなど、活発な文化活動を行った。
父はラーマ2世。
血統的に最高位の王位継承権を持ちながら、権利を異母兄プラ・ナン・クラオ王子(ラーマ3世)に譲って出家。
権力に執着しない王様でもある。
ラーマ4世の後のラーマ5世・チュラロンコーン王は、タイ国民なら誰でも知っている歴史上の英雄でもある。
若干15歳で即位。成人すると、ラーマ4世が推し進めてきたシャム国の近代化を、一気に世界的レベルにまで到達させた。


ローカルバスは楽しい?!
さて、いよいよバスに挑戦だ。計画通り、18番に乗って、戦勝記念塔へ行って…。
だが、さっそく逆方向のバスに乗車。車掌に言っても通じないので、運転手に地図を見せると逆だという。
すぐに逆のバスが来た。3.5Bを払って乗り込む。
地図をいちいちチェックしながら車窓を楽しむ。
塔が見えてきたので、降りるが、そこは巨大なバスターミナルすぎて、方向がまったくわからない。これは、きついなあ。
 地下鉄のないバンコクではバスは人々の足なのだから、しかたないのかも。
日本でいえば、大手町駅とか、東京駅みたいなものなのだろう。
とりあえずきた204のバスに乗車。が、どうも様子がへん。
道がやたらと空いているのだ。予想通り間違えた。
でも、ここでは列車の件があったので、まったく焦らなかった。時間はあるし、タクシーもあるし。
あんまりのんびりしてるのも何なので、前に座っていた中国系の男の子に地図をみせて「ここはどこ?」と聞く。
ラッキーなことにすごくわかりやすい英語をしゃべってくれた。
かなり北に向かってしまったようで、降りて逆のバス停へ。(この間違いが、後で役にたつことに)
【雑感】
 この辺は、わりと中流の人が住んでいる感じ。みんな小奇麗だし、私がいてもほとんど違和感ない。
アジアって同胞なんだな。この安心感は肌の色のせいなのかも。人って、よそ者でいるのはやっぱり不安なんだと思う。
安心感のない、緊張の毎日を送るのは、ストレスにつながるんだろうね、きっと。
だから、移民の国アメリカでもチャイナタウンとかリトル・イタリー、日本人街とかが生まれてくるんだと思う。
普段は「群れるのが嫌い」なんて言ってる私だけど、結局、外に出たら群れの中でほっとするタイプなんだろうな。

さて、旅の続き。今度は間違いなく204のバスに乗ってサイアム・スクエアへ。
が、途中の排気ガスにはさすがに参った。
道が混んでるので、止まってる間中、排気ガスがもろに窓から入ってくるの。
耐え切れず、サングラスとタオルで防御。車掌さんみたいにマスクしようかしら。
やっと、ホテルに到着。時間はすでに4時半。間違いだらけの長い道のりだった。
食事どうしよー。昨日みたいに迷うの嫌だし、今日はチェックしてた、ソンブーンシーフードへ行くぞ。
裏通りをぐんぐん歩いて、なんとか店を見つける。人はあんまり歩いてなくてちょっと怖い。
店の様子は中華風。一人客なんて誰もいない。
そしたら、英語のできるウエイターが、「こちらは中華でシーフード店は裏ですが、どうします?」と言う。
同じ経営らしい。私は「シーフード」と言って、そそくさと店を変わる。
今度は食堂っぽい。よかった。けど、客はあまりいない。ウエイターの方が多いし、一人客はもちろん私だけ。
とりあえずビールを頼んで、で、ちょっと高いけど、ガイドブックで見た、「カニのカレー煮」を頼む。出てきたのは本と同じ。
「おいしそう!」…が、一口、二口とすすむうち、そのこってりさが、胃に刺激をあたえ、さらに、カニは食べずらく、手はベトベト。
ウェイターはじろじろ見るし、もう、食べてる気がしなくなる。食べても食べてもへらず、どーしよ状態。
やっぱり一人でこの量は無理だった。
ウエイターが気を遣って、カニを砕いてくてくれるが、今度は殻が口に入ってしまい、また食べづらい。
そして、この緊張がさらに胃を刺激し、額からは油汗が…。「もう、ダメ!」と、お茶をガブ飲みして、そそくさと店をでる。
道は暗い、人通りは少ない、そして雨が落ちてきた。私は吐きそうな胃を押さえながら早足でホテルへ向かい。
タクシーやバスをつかまえるより歩いたほうがはやいと思い、歩きだしたが意外に遠い。
泣きたくなりながら、疲れた足を引き摺り……、やっと到着。何だか疲れがどーっと出てしまって8時に寝てしまう。
明日、マーケットなんてとても行けそうにないよ。「お腹いたーい、どうしよ…」。
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★5月22日

7時頃起床。昨晩はどうなることかと思ったけれど、胃もなんとか落ち着いた。
たくさん寝たのがよかったのだろう。今日はバンコクに来て始めて青空が見えた。旅先では天気と気分はほんと、比例しますよね。
まずは朝食をたべて、徒歩で「ジムトンプソンの家」へ。
開いたばかりで客がいなくて、はじめは日本語の勉強をしているというかわいいガイドさんにマンツーマンで説明してもらう。
修業で食事をしないことを何というの?と聞かれて「絶食」と教えてしまったけど、「断食(だんじき)」だったのよね。
ごめんね、お姉さん。嘘つきました。
途中でJTBの団体客がきたので一緒に見て回る。ここでも関西系だ。
関西系のおばはんはホント、パワフルやね。せっかく日本人に遭遇したので、写真をとってもらう。
チーク材でできた家は南国らしい雰囲気で気に入りました。
チェックアウトまで少し時間があったので、「マンゴ&ライス」をオーダー。始めてルームサービスを取った。
ぎりぎりにチェックアウトして、荷物をキープしておいてもらう。この選択は正解。ウエスティン・ホテルは不便過ぎました。

これぞアジア本場のマーケット!
すこし元気になったし、天気もいいので、始めの予定通りバスで「ウイークエンド・マーケット」へ。
昨日、間違えて乗った道を北上。わりとすぐに到着。そこはもう迷路のよう。
さらに暑くて、人が多くて、すごかった。けど、おもしろくて、興奮状態の日本人観光客もけっこういた。
結局、島で着る2ピースをわずか100Bで買ったり、スリッパを買ったりして、ほとんど高いものは買わなかった。
土産用にもう少し、ここでいろいろ買えばよかったかな。けど、いつものこと。
やっぱり私って根がケチなんですよね。再確認しました。
いくつか屋台はあったけど、なんだか食べる気しなくて、水だけ飲んで、2時間で帰ることにする。
一人旅と暑さの疲れがピーク。もう、だめかも……。
帰りはちょっと贅沢にエアコンバス。ここでもナンバーを控えてたのが役にたった。
それに「マーブンクローン」は通じ安いので、バスの料金払うのも簡単だったし。(8B)
町に戻ったら、まずマフィンとコーヒーを例の店で食べる。「ほっ」。やっぱり、コーヒーだけはやめられません。
次に足マッサージ店をさがすがこれがみつからない。昨日、たしかに目にしたのに…。あきらめたころにやっと見つける。
ずいぶん遠かったのだ。

疲れた身体には、やっぱりにマッサージ
250Bで「タイ式マッサージ」をしてもらう。さすがに客はいない。私はお姉さんのやさしいマッサージを受けながら半分夢ごこち。
ちょっとした贅沢気分。(ここまではまだ、チープな旅にどっぷり漬かっていたのでした)。
かなり腰も楽になったので、「イセタン」へ。バスで見たときは近いと思ったけど、意外に遠い。
時間もあまりなかったので、「イセタン」と「ZEN」を飛ばして、免税店へ直行。
が、目当てのクリニークも「アン・クライン」の時計もない。せっかく来たから、とシャネルのアリュールと口紅を買う。
化粧品は何としても買わなければ。でも、もう6時近い。
急いで食事に行く。目当ての「バーンクーポー」へ。やっぱり、観光客だらけだ。
昨日の食事のせいか、あまり食欲もないし、一人なので、「ヤムウンセン」と「トットマンプラー」というさっぱりしたものだけを注文。
もちろん、ビールも一緒だけどね。あんまり辛くしないで、と言ったのに、ヤムウンセン、辛かったです。おいしかったけどね。

かんべんしてよ、タクシー運転手
暗くなってきたので、MBKに戻り、怪しげな店で化粧品を買う。バッタ物でも、安いからいいや。
これで、予定していた買い物はすべて終了。と、いうほど買ってはいないのですが。
7時。案の定、すごい雨が降ってきた。思い残しはない、いざウエスティンヘ。
かわいいベルボーイにタクシーを呼んでもらい、乗り込む。が、この運転手が怪しげ。
ボーイがウエスティンHの場所を説明したのに、要領を得ない。
何度も、「スコタイ」の近くといい、地図も見せたのに、わかっていない様子だ。
雨脚はどんどん強くなり、ボロい車の窓からは水が吹き込む。さらに、運転手はトイレに寄り、買い物までしている。
イライライライラ。完全になめられているのだろうか。けど、雨だから許してやるしかない、文句の言い方もわからないし。
結局、ホテルはすぐ目の前。まったく……。チップは絶対払わない、としっかり、お釣を要求する。

来るかな……
ウエスティンHのロビーは普通だけど、落ち着いた感じ。Aが後で来ることをうまく伝えられるかな、と思ったけど、平気だった。
部屋にはいるとびっくり。ベッドルームと居間に別れているのだ。
備品も揃っていて、バスローブもあり、さすが。こんなホテルは始めて!と、感動。
ここからが、リッチな旅の始まりなのねー、と実感した。
さっそくゆっくりシャワーを浴び、(シャワーとバスが別なので、両方入った)荷造りなどして、ウトウト。
明日は早い、今のうちに少し寝ておこう。けど、結局、眠りについたのは11時頃。
なので、Aが到着した時、ちょうど寝ぼけていたのでした。
寝ぼけ眼でAを迎える。ずっと一人だったので、やっぱり道連れができてうれしい。
ウエルカムフルーツで迎えてあげる。Aは、「いなかったらどうしよう」とマジで心配していたという。
(私も、来なかったりして、と心配していたのだが)1時過ぎに寝る。

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☆5月23日

ゴージャズな旅の始まり
朝は6時に起床。7時にタクシーで空港へ。
日曜だからか、高速を使ったからか、空いていて30分もかからない。が、なぜか料金は350B。
空港送迎のタクシーってどうしてメーターで行かないんだろう?
いままで交通期間は安く利用してたので、とても高く感じる。
Aが流暢な英語で「ドメスティック」ターミナルと言うが、判っているのか怪しい。
国際線と国内線が離れていることを、私は1日目で学んでいたので、運転手に「プーケット」と再確認。
よかった、やっぱり通じてなかった。
チェックインを済ませた後、カウンターで「ピピ島」の情報を仕入れる。
そしたら、おばさんが人の話きかないでどんどんアレンジしていってしまう。ピアまでの送迎と船は一人1500Bだという。
1500B?!目んたま、飛び出そう!
今までの旅の値段から考えて、この数字は私の予想をはるかに超えていた。
高いよ、おばさん。けど、時間もないし、慌ててたので、ま、覚悟するか、と結局OK。
ピピ島もホテルはピアに近いバンガローで、ここも一人1000B。
予定とはずいぶん違ってしまった。
9時。時間がきたので慌てて飛行機に乗り込む。さすがにシーズンオフ。
客は白人の家族連れがいる程度だ。

プーケット、今日は雨だった
10時半。プーケット着。窓の外の景色を楽しむが、空はどんより。少し雨も降っている。
けど、やっぱり感じはバンコクともアユタヤとも違っていて、「南国の島」だった。
送迎のおじさんに連れられていったのは、旅行代理店。
ついたらすぐに船があると思っていたのに、2時半の定期便まで結局ないみたい。
「なんだよそれ。じゃあ、空港からピアまで、バスで行ってもよかったじゃない。」
そう、思ったけど、もう仕方ない。さらに代理店の人は、2時半までガイドをつけて観光しないか、としつこく誘う。
また500Bだという。町でランチして、のんびりしてもいいかな、と思ったけど、せっかくだから観光することにする。
天気も回復してきたので、寺を見たり、展望台に行ったり、ココナッツジュースを飲んだり、盛りだくさん。
ガイドの女の子は英語がじょうずで、Aといろいろ話してた。私も参加したかったけど、スピードが違いすぎて、話に加われない。
考えてる間に話が進んでしまうんだよね。これって、パーティーとかいくといつも感じる。
1対1だとまだ、いいんだけどねえ。
いろいろ見てる間に時間は過ぎ、気づいたら昼食をとる時間がなくなっていた。
ガイドさんも運転手も慌てていて、私たちは思わず顔を見合わせる。
「500Bもとって、乗り遅れたらどうしてくれるのよ」と、日本語で思わず文句。
なんとか、船出に間に合うが500Bは払わずじまいだった。船は綺麗とはいえないが、波もなくのどか。
眠くなかったので、のんびり外の景色をみながら過ごす。


おだやかなピピ島へ。
4時半。2時間ほどで、島に到着。本当に小さくて、何もないところ。
森とビーチと動物の島だった。こんな静かなところは始めてだ。
時間とか、空気とかすべての流れがゆったりしていて、何だか現実じゃないみたい。
でも、白人のカップルはけっこう大勢いて、窓から海の見える部屋には泊まれなかった。
バンガローにしては高いと思ったけど、部屋はたいしてきれいじゃなくて、狭い。
でも、テレビは英語の番組ばかりなのが、リゾートしてた。温泉のように温かい海でひと泳ぎ。
ここの客はヨーロッパ人がほとんどらしく、平気でトップレスで歩いてる。
始めはびっくりしたけど、すぐに慣れた。私もビキニだったらやってたかも。なーんてね。
見せられる代物じゃあございませんので。
ビーチで夕食。味はやはり観光客向けに甘目だった。
Aは、以前フィリピンで食あたりした経験があるので、水と食べ物に対してすごく神経質。
なので、私も便乗することに。あたった人にしかわからない用心深さというのだろう。
私はあまり食欲がなくて、ほとんど食べられなかった。戻ってシャワーを浴び、土産物屋を散策。
けっこう、店がたくさんあって、白人客も大勢いた。
けど、客引きはまったくなくてのんびりしてる。従業員も動物もなにもかもが「のんびり」なのが気に入った。
夜のビーチで、蚊の猛攻を受けながらコーヒーを飲む。
いろいろ、たわいのないおしゃべり。一人旅では味わえなかったひとときだ。
早めに部屋に戻る。私は、一人旅の疲れで、腰が痛く、その上、頭と腸までいたくなって、早めに就寝。
薬を飲んで眠りにつく。明日も調子悪かったらどうしよ…。
寝ている間、何度か起こされた。蚊取り線香をたいても蚊がどんどん入ってくるのだ。
細切れの眠りって最高に不愉快。「アジアのバンガロー」では、蚊と友達になることが大切、と実感。
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☆5月24日

雨の航海は苦しかった
昨日の疲れと、腸の痛みも治まり、早くに目が覚める。
旅先だとどうして、早く起きられるのか不思議。鳥の声と森の木々が揺れる音、静かな波の音が心地よい。
が、雨はしとしと、空はどんより。このまま雨が降り続くのだろうか……。

ビーチのビュッフェで朝食。天気は怪しい。そして、部屋に戻り、荷造り。
雨はどんどん強くなり、さすがに誰も泳いでいない。がっかりだ。
船が出る昼まで、どうして過ごそうか。しかたないので、店でお茶をのみ、ダラダラとおしゃべり。
となりの老夫婦は、昼間から大量にワインを飲んでいる。
船の時間を確かめにホテルのロビーに戻ると、船を出してる店で聞けという。そこに行くと1時半だという。
2時半だと思ってたのに……。また、慌てて、昼食へ。この時、後の恐怖はまだ知る由もなかった……。
ランチのサンドイッチはおいしいが、係員に急かされて慌てて、出発。
小さな船に乗せられる。こんな船で2時間も??
金返せ!といいたかったが、途中で大きな船に乗り換える。よくわからん。
乗り換えてすぐに、すごい揺れ!座っているのもつらいぐらいの「揺れ」が次々と襲ってきた。
5分前に飲んだ酔いドメ薬がまだ消化しないうちに、胃の中はもう「吐き」モード。
気持ち悪…。係員にチケットを見せ、ホテルはバニヤンツリーとどうにか告げる。そしたら、昨日の500Bをしっかり請求された。
話はつながってたのね。逃げられると思ったのにその後は、もう生きてる心地がしない。船の揺れは最悪の状態。
そして私の身体も「誰か、止めてっ!飛び降りたいっ!ヘルプ!!」
あとは、ただ、「♪胃液吐くまでー。ワワワ、すべて吐くだけー♪」
悪夢の時間。今、思えば1時間少しだったが、あの時は、絶対、モタナイと思ってた。
それだけひどくて、私にとって始めての船酔い。この旅の大イベントのひとつとなってしまった。
陸についた時はもう、三途の川から生還した気分。

 

バニヤンツリーは天国でした
まだ、気持ち悪さは残ってたけど、なんとか送迎のバスに乗り込む。 意外にはやく到着。でも、もう夕方だった。
バニヤンツリーは、今までのどのホテルとも感じが違い、ロビーというものがない。
つくとすぐにコテージに案内され、そこでいろいろな手続きが行われた。
従業員はみんな英語できるし、フレンドリーで、そしてさすがに部屋がすごい!
ほとんど一軒家なの。庭にはジャグジーがあって、裏庭には屋外のお風呂、洗面台は二つあり、天井は高く…。
「ス・テ・キ」のひとこと。思わずはしゃいでしまいました。
ランチを全部吐いてしまったので、ウエルカムフルーツで腹ごしらえ。
その後、酔いの疲れを取るため、シャワー&露天のお風呂を楽しむ。
ジャグジーと、金庫の調子が悪くて、何度か係員を呼ぶが要領を得ない。そのへんはタイだね。
二人とも、少しだけおしゃれして、食事へ。図書館もあって、ビデオを貸してくれるという。
シャトルに乗って「シェラトン」へ。
シェラトンは隠れ家的なバニヤンツリーとは違い、開放的。
ラグーンにコテージが建っていて、ここもなかなかよさそう。せっかくだから、とシェラトンのタイレストランで食事。
三角枕が置いてある、板の間に案内され、タイ音楽の生演奏をききながら、のんびり。
ビールも入って、もう、すっかりお休みモードだ。9時頃、土産ものをちらっと覗いた後、部屋に戻って明日の予定をたてる。
スパの予約が1時しか取れないというので、明日は早起きしてまずはビーチだ。
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☆5月25日

リゾートホテル生活を満喫
8時に起床。元気なAに急かされ、ビーチへ行く準備。すっかり海モードで朝食へ。
が、回りはみんなきちんとした格好。ここはやっぱり「超」高級。客層が今までとはちょっと違う。
朝食も日本のホテルなみに高い。なので、私はタイフードのビュッフェにする。
が、それがビュッフェではなくて、注文だったらしく、大量のおか湯とやきそばが登場。
こんなの頼んでる人、他にいなくてちょっと恥ずかしい。
一人じゃとてもたべきれないので、Aに手伝ってもらう。カットフルーツもおいしかったけど、お腹いっぱい。
もったいないことしました。
10時過ぎにビーチへ。天気はくもり。
ビーチは想像していたのと違い、阿字ガ浦のように波があらくてびっくり。ここは外海だったらしい。
顔につける日焼け止めが固まってしまっておお慌て。ほんと、今日は朝からドンクサイこと続きでちょっと落ち込む。
やっぱり、こういう高級な場所って慣れてないからか、やることなすことちょっとずつ、人とずれてしまうようだ。
あっという間に時間がすぎ、スパの準備をするため、そそくさと部屋に戻る。

はじめてのエステ
シャワーを慌ててあび、スパヘ。初めてのエステでちょっと緊張。服を全部脱ぎ、ベッドに寝かされる。
後は、ただひたすら、気持ちよく、泥を塗って、パックして、オイルマッサージして………。
あっという間の2時間が過ぎる。けど、途中ですごい雨。ビーチにいなくて良かった。
せっかく気持ちいい気分でいるのに、頭の中で、仕事のこと考えたりして、ほんと貧乏性。
Aも同じようなこと言ってた。やっぱり日本人のサガなのか。二人とも「貧乏暇ナシ」が好きな性分らしい。
気持ちもリラックスして、さあ、今度はプールサイド。もう、夕方になってしまった。
気持ちいい風に当たりながら、雑誌読んだり、うたた寝したり。
空は曇りだったので、少し涼しい。日も暮れてきたので、部屋に戻る。
その後、夕食は「パトンビーチ」へ。さすがに賑わっていて、白人がいっぱい。
で、地元の人がいくような安い店、と頼んだのに、やっぱり観光客用の店に連れて行かれた。
バニヤンツリーに泊まるような客を本当のローカルの店には連れていくわけがないものね。
店の感じは開放的で、辛くはなかったけど、魚も安くておいしかったし、リゾート地のディナーにしてはまあまあのデキ。
その後、ニューハーフのたむろしているあやしげな通りをちょっと覗いて、ホテルへ戻る。
何もしてないようだけど、今日も1日つかれた。
けど、島に来てからほとんど歩いてないので、腰の方はすっかりよくなりました。やっぱり、休む事って大切だね。

【雑感】
旅もついに終わりが近づいてきた。もう、イベントは残っていない。
もう少し、ピピ島と、プーケットを堪能したかったな、というのが正直な気持ちだ。
やっぱり、リゾートは天気の安定している時期に、長期でこないともったいないね。
またもし、プーケットに行くことがあったら、今度は、天気と相談して決めたい。
たとえば、天気がよさそうな日に島へ行き、後の予定をたてずに過ごし、飽きたらプーケットに戻って、またのんびり。
というのが理想。現実はそうそう、時間がとれないものだけどね。
その意味で、前半の一人旅は、その場その場で予定をいれていったので臨機応変に対応できたと思う。
列車やバスの遅れやトラブルも気にならなかったしね。
旅にトラブルは付きもの。人生と一緒で予定通りにはいかないものです。

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☆5月26日

一路、バンコクへ
早めに起きて帰り支度。もうちょっとこの部屋を楽しみたかったのに、残念。今朝はちゃんとビュッフェで朝食。
バニヤンツリーオリジナルの土産物屋をちょっと覗き、名残惜しくホテルを後にする。
帰る間際、はじめに撮った写真をもらっていないといったら、「もう1度撮って、送ってやる」という。さすが、言ってみるものだ。
Aの辞書に「面倒くさい」という文字はないのだろう。すばらしい。
(が、未だに写真は届きません。チップが少なかったから??)空港までは約30分。
プーケットって意外に大きな島である。その間中、昨日と同じ運転手とAは英語でおしゃべり。
私はとっくに話についていくことをギブアップしてしまっている。これだから語学が上達しないのでしょう。
12時発の飛行機でバンコクへ。旅の終わりは言葉も少なくなるものだ。
1時半バンコク着。バンコクの空港はゴルフ場も兼ねていた。危なくないのかな?
飛行機が通りすぎるのをゴルファーが待っているという不思議な光景を目にする。
ロビーで「ホテル決まってるか?」と客引きが寄ってくるが無視。
タクシー乗り場にいくと300Bでいいか?と聞くので、OK。(なんでタクシーのくせにメーターで走らないのか不思議)
30分でウエスティンヘ。部屋は前の時と同じ4017だ。備品も前の時から増やしてない感じ。
開けるのを失敗した水まで残っている。チップ置かなかったから??
すでに贅沢になれてしまった私たちは、部屋に感動もしない。慣れって恐ろしい。贅沢は怖い。
どんどん当たり前になっていく贅沢は魔物である。
天気も悪くなかったので、シーロム通りまで歩いていく。(10分くらい)
けど、シーロム通りはそんなにデパートがたち並んでるわけではなく、だらだらと歩いて、途中、ワトソンズで買い物。
夜の通り、バッポンの昼の様子をちょっと覗いて、コーヒー屋へ。
特に目的がないので、バスに乗ってオリエンタルホテルを見に行く。
Aは学生時代、彼氏と来た時をなつかしそうに話してくれた。
オリエンタルのショッピングモールで宝石とかを見る。ほとんど興味ないんだけど、やっぱり高級品は違う。
途中、アラブのナンパ店員に捕まり、宝石やスカーフを試着。
さすが、A。男にモテマス。
けど、今度の旅では、私の男運のなさが、Aの逆を上回ってしまったようで、まったく男が寄り付きませんでした。
ちょっとばかり期待してたのにー。残念!
タクシーで一度ホテルに戻る。場所が悪いといちいちタクシー使うはめに。食事はカウンターで聞くことにする。
カウンターの彼に、安くておいしいところ、と頼むと親切に予約までしてくれる。
さらに、タイ語でメモまで書いてくれた。彼は、モロおかまちゃん。手がしなっていた。思わず、無言でAと顔を見合わせる。
(タイのオカマチャンをもっと知りたい方は「アタック・ナンバー・ハーフ」へ)


バンコクは英語が通じません
ホテルのボーイがタクシーの運転手にメモを渡してくれたが、運転手は途中でわからないと言い出した。
「どうして、こんな遠いところに行くの?友達のところに連れてってやる」(あくまで推測)、とタイ語で文句を言ってるらしい。
英語で対処していたAもギブアップ。「ピアへ行って」と行っても通じず、しかたないのでシャングリラホテルと伝える。
わからないなら最初から乗せるな!前の時もそうだったけど、バンコクのタクシーは要注意。
ホテルの入り口まで入ってくるタクシーはとくに問題あり!
やっぱり、黄色と緑のタクシーは比較的、良心的で安心だと思った。
仕方がないので、シャングリラのロビーでメモを見せる。が、店は遠いという。
インターネットで見つけた「ヨック・ヨー」というレストランのことも聞くが、あまりいい返事が返ってこない。
仕方がないので、「オススメは?」と聞いたら、案の定、最初にウエスティンで教えてもらった「タンジン」という店を教えられる。
高い店なので気乗りしなかったが、歩いていけるというので地図をもらい、そこへいくことに。ところが…。
道を間違え、困ったことに。警備のお兄さんに聞くと、彼はまったく英語がわからないという。
でも、やたらと親切で、いろいろ人に聞いてくれ、連れてっいってくれた。
地図よりもずいぶん遠くて、これじゃわからないはず。
ほんとは「タンジン」ではなくもっと安い店に行きたかったけど、疲れたので入ってしまう。
案の定、高級レストラン。客は白人ばかりだ。ちょっとかしこまってしまい、面倒だからコースを頼んでしまう。
ところが、これが、多いのなんのって。
ビールとスープでお腹いっぱいになった私は、もう、メイン料理にはほとんど手がつけられない。
味は甘くて口にいれるのもつらい。結局、アスパラのいためたのをつまむ程度。暑い所だと食が進まなくなるのは、致命的。
私だけじゃなく、Aもお腹いっぱいでつかれたらしく、バッポンに行くのをギブアップ。
レストランの前で待っていた白タクに面倒なので乗ってしまい、案の定、ぼられてしまいました。
疲れすぎは禁物だね。旅は休み休みが一番。
ついに旅もラスト。後は、シャワーを浴びて、荷物をつめるだけ。いつものことだけど、もう終わり…。
と、感傷的になる。ホテルのバーへ行く元気もなく、明日、4時起きに備えて就寝。
【雑感】
どうしてこんなに疲れちゃったのかな。たぶん暑さと湿気に身体が負けちゃったんだと思う。
だから、食事に関しては、アユタヤで食べたカレーが一番おいしかったんだよね、実をいうと。
胃がまだまだ元気だったからだろうね、きっと。

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☆5月27日

帰りたくない…
4時に起きて5時にホテルを出発。外はまだ暗い。半分、眠った状態でチェックイン。
出発の7時まで、時間があったので、免税店で、残りのお金を使いきる。
こんな朝早くから免税店が開いてるなんて、さすが24時間オープンの空港。
7時。定刻通りに出発。最初、私たちの席にバッグパっカー風の白人が座っていた。
係員が言うとすぐどいたが、確信犯っぽい。
エコノミーの人が紛れ込んで、そのまま乗って行ってしまうことってけっこうあるらしい。
ずうずうしい奴ってどこにでもいるのね。帰りは眠いし、映画も「すたーとれっく」なので、ほとんど寝て過ごすことに。
が、なぜだか寝付けず、私は読書。ランチにでてきた、タイ風串カツがまた胃にきた。
やっぱり、油ギトギトこってり系の食べ物って私、苦手みたいです。
成田にはすぐ着いたんだけど、強風のせいかなかなか着陸せず、しばらく旋回。
日本はその日、ひどい強風だったとニュースで知った。
荷物を受取り、(始めて手荷物の中を見られました)ぐったりした足どりで京成線へ。
Aはあと少しでハワイへ旅立ってしまう。この次、逢うのはいつになるのだろう。
お互い、先の見えない生活をこれから送るんだなと実感。
二人の最初で最後の旅かもしれないな、と感傷的になりながら(かなり創作してます)「じゃあね、またね」と、長いお別れを…。

あっという間の10日間。また行くぞ、タイランド!

教訓1 「おいしいものは、胃の元気な旅の始めに食べるべし」
後で食べられ なくなった時ほど悲しいものはありません。

教訓2 「一人でレストランに入るときは、よくばらない」
分量がわからないからね。あとは、
「勇気を持って、量はどれくらいか、味はどうか、と聞いてみよう」

教訓3 「はじめは貧乏旅行、リッチ気分は最後に楽しむ」

教訓4 「失敗は最初のうちにたくさんする」
あとの失敗が平気になる。

教訓5 「現地の単語ぐらいは覚えておこう!」
アジアにいくならやっぱり現地語

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